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蓼喰人の「蕎麦屋酒」ガイド

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蓼喰人 (男性・東京都) 認証済

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 蕎麦はデパ地下の秩父の産物を商うコーナーに並んでいた「特挽 地そば」なる生蕎麦を買ってきた。
 名前通り地場の蕎麦を使用していると思われるが機械打ちで、割合は表示されていないが小麦粉のつなぎも入っている。

 本式の蕎麦屋で打ち立ての生蕎麦を購入して自宅で茹でても、鍋の大きさの違いやかき回し過ぎたりして、蕎麦が切れ切れに成ってしまうケースは良くある。
 素人が家庭でも茹でるには、こういったタイプの方が失敗が無い。
 
 茹で時間の表示より若干早めに湯から上げ、水に晒して専用の蒸篭に盛り付けるが、シャキッとした歯触りは中々良い。
 如何にも田舎蕎麦風に星も散らばっており、その分ややザラっとしているため喉越しは良くない。
 氷水を使わず敢えて常温の水を使うことで、香りはしっかり感じられた。

 蕎麦には大して拘らなかったが、つゆはちょっと凝ってみた。
 2.3日前に煮切った味醂に醤油と少量の砂糖を加えた「かえし」を仕込んでおき、冷蔵庫に寝かしておいた。
 当日に某蕎麦屋からもらった鰹節のパックを使って、濃い目に取った出汁と合わせるが、円やかさには少々欠けるもののまずまずのつゆが出来た。
 もう少し早めに仕込んだ方が良かったようで、翌日に冷蔵庫に残しておいたつゆで冷麦を啜ったら、味が練れており格段に美味かった。

 薬味は件の本山葵のおろしと、葱の根元の所だけの小口切り。
 茹で湯をそのまま蕎麦湯としたが、〆の満足感もまずまずだった。

 なかなか面白かったがあくまでも'お遊び'で、自己満足の中での出来事。
 酒が解禁になったら、足を運びたい蕎麦屋が目白押しの状況。
 自由に「蕎麦屋酒」が楽しめる日が、待ち遠しい。
 「酒の秋山」のレビューで述べた通り、このご時世で「蕎麦屋酒」の中断を余儀なくされている状況下、我が家での'模擬蕎麦屋酒'を目論む。
 蕎麦は打ったものを購入したが、つゆや薬味はそれなりに凝り、何より最も重要な「蕎麦前」のための、簡単ながら蕎麦屋の定番物の肴を並べてみた。
 前日に出掛けたついでにデパ地下で、主だったものは購入。

 内容は次の通り。
 「板わさ」:お馴染みの小田原では無く愛媛の八幡浜産だが、独特のプリッとした食感と甘みの少ないさっぱりした味わい。
 一方わさびは天城産の「本山葵」を仕入れこれを摺り下ろしたが、鮫皮おろしが無かったので、少し食感がざらついてしまったのは残念。
 しかし本山葵ならではの、甘みを湛えた爽快な辛味は楽しめた。

 「焼き味噌」:味噌は京都産の白味噌を使い、これに葱・鰹節・胡桃を刻んで加え杓文字に塗り付けて炙るという、私にとっては思い出深い「一茶庵」スタイルにする。
 適度に焦げ目が付いた理想的な仕上がりで、我ながら良い出来だと思う。

 「玉子焼き」:目指したのは「室町砂場」の仕事だが、やはりあの出来には到底及ばない仕上がり。
 しかしそばつゆを加えてしっかり焦げ目を付ける、江戸前蕎麦屋の仕事には近づけたつもり。
 定法通りに大根おろしに醤油を垂らした「染めおろし」を添えれば、それなりに美味かった。

 「海老と空豆のかき揚げ」:彩りを考えて、この組み合わせのかき揚げにしてみた。
 近所のスーパーで入手した素材ながらまずまずの揚げ上がりで、抹茶塩を付けると結構様になった。

 酒はレビューの通りに「酒の秋山」で購入した、福島の「一生青春」の4合瓶を開けたが、どの肴にも合って中々の満足感。
 スイスイと杯が進み、3合ほど空いたところで蕎麦に移る。
 猛暑の最中、八重洲に今年1月に誕生した「アーティゾン美術館」を訪れた。
 元々この地で石橋財団が運営する「ブリジストン美術館」として存在していたが、ビルの立て直しに伴い広いスペースを有する、贅沢な造りの美術館に生まれ変わった。

 こんなご時世なので一時に観客が集中しないように入場制限をしており、チケットは日時を決めて事前購入が原則となっている。
 WEBで申し込みが出来、1日を4つの時間帯に分けて指定できるシステム。

 場所は八重洲通りと中央通りの角に位置し、外観は前面が鏡で覆われたようなスタイリッシュな装い。
 ビルの1~6階までを占めており、展示スペースは主に4~6階で、最初にエレベーターで6階まで上がり徐々に階下に移動するスタイル。

 入場の際には、もちろん検温を受ける。
 警備員なども待機していてちょっと厳めしいが、中に入れば落ち着いた雰囲気の気持ちの良い空間が広がっている。
 
 この時期の催事は、6階は「鴻池朋子」の'ちゅうがえり'というモダンアート。
 5階は、昨年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館展示を再現した'宇宙の卵'という、地球環境をテーマにした展示。
 4階は既存の「石橋コレクション」を中心とした名作の数々。
 以前から目玉だった、青木繁や藤島武二の作品、印象派などの泰西名画がゆったりと展示されている。
 「特集コーナー展示」にはパウル・クルーの作品の数々が、掲示されていた。

 約2時間ほどかけて見て回ったが、疲れることも無く実に快適な時間が流れた。
 全ての展示を見れて1,100円の入場料は、安いと思う。
 この猛暑の砌、都心の便の良い美術館で涼みがてら、優雅なひと時を過ごされるのも一興と思う。
 レビューで述べたように、「呑ませる蕎麦屋」として人気の高い神保町「わたる」が、このコロナ禍により本来の夜の営業を一時的に休んで、テイクアウトを主体とした昼の営業を始めている。
 今回はこちらの仕事が集約された「晩酌セット」と、日替わりご飯の「鯛飯」を買って帰り、その夜に家で味わってみた。

 「晩酌セット」の内容は「料理4品+サービスの一品」「出汁き玉子」「天とじ」一式、それに1合の酒が付いている。

 15種類ほどの中から選んだ一品料理は「筍土佐煮」「鶏白レバーしぐれ煮」「海老アボカド含め煮」「人参ナムル」それにサービスで付けてくれた「切り干し大根炒め」で、それぞれパックから出して小鉢に盛ってみるとなかなか見栄えが良い。
 必要に応じて少し温めてみたが、すべてに丁寧な仕事が施されており、酒の肴に好適で味が濃すぎることが無いのも有り難い。
 いずれも美味しかったが、特に滋味深い筍、臭みの無いレバー、セロリなども入った切り干し大根が良かった。

 「出汁き玉子」は、焦げ目を付けない綺麗な仕上がり。
 結構甘めの味付けだが、持ち帰り用のため出汁の含みは少な目にしたしっかりとした食感が好ましい。
 
 「天とじ」は、大き目のパックに結構な数の天ぷらが収まっていた。
 野菜ばかりの所謂「精進揚げ」だが、種類が豊富でなかなか面白い。
 外見では見分けがつきにくいが、小さ目にカットされた茄子・椎茸・しめじ・いんげん・しし唐・玉ねぎ、さらに百合根・新生姜・長芋(食感からして菊芋かも)などがそれぞれ2.3個ずつ確認できた。
 これにはビニールのタレ瓶入りの割下、生卵1個、さらにあしらい用の三つ葉も付いており、仕上げは自分で行うスタイル。
 
 我が家では小型の土鍋を用いて調理した。
 割下を煮立てた中に天ぷらを並べ、火が通ったところに溶き卵を流して三つ葉を散らして蓋をする。
 予熱で蒸らすように火を入れて、1.2分で半熟状態となり完成。
 割下はそばつゆベースで、出汁が効いていて旨味十分。
 天ぷらの衣が潤びてそれが玉子に馴染み、一見濃いように思えてなかなか良い味に出来上がった。

 店売りの酒が1合付くが、銘柄は山形庄内の「鯉川 特別純米」が瓶に詰められて添えられていた。
 銘柄名や簡単な紹介文が記された紙片が、瓶の首に巻かれているのも芸が細かい。
 料理を一品ごと丹念に味わいながらの一杯は、実に快適。
 もちろん酒はこれだけでは足りず、ワインなどがプラスされたのは言うまでもない。

 別に購入した「鯛飯」も良かった。
 薄味だが鯛の旨味が米の一粒ごとに染み込んでいる。
 パックにたっぷり詰められており、この日は1膳分を電子レンジで温め、残りはおにぎりにして翌日に美味しく頂いた。
 
 全体的に繊細な仕事が施されており、こちらの技が随所に示されていた。
 期せずして充実した家呑みが出来て、大いに満足できた。
 最近注目されている2軒、落合の「green glass」と水道橋の「発芽そば ゆき」とのコラボ蕎麦会に出席。
 会場はgreen glassで、掘りごたつ式のテーブルとカウンター席もフルに使った、結構大掛かりなイベントである。

 私は定刻よりも早めに着き一番乗りだったが、双方の店主の関根さんとゆきさんに加え、現在関根さんを手伝っている若い女性スタッフが、明るく迎え入れてくれた。
 この女性は以前「菊谷」に居て、今は閉店してしまった大塚の「菊谷別亭」で会ったことが有り、その時は和服姿だったのでお見逸れしてしまったが、あちらは私の顔を覚えていてくれた。

 参加者は総勢17名で、いずれも両店の常連さんばかり。
 初めてお目に掛かった方も多いが、すぐに打ち解けた雰囲気となった。

 この日のメニュー内容は、両店のご主人の手による料理とそばがきが1品ずつ、その後で蕎麦はそれぞれ2品ずつ4種類が出されるとのこと。
 飲み物は、好みのビールや日本酒を各自注文するスタイル。

 料理①:ゆきさん作「黒毛和牛の牛筋と焼き豆腐の煮物」
 料理②:関根さん作「静岡おでん(大根とジャガイモ)・玉子焼き・鱈子のからすみ風・ほうれん草の盛り合わせ」

 そばがき①:関根さん作「埼玉三芳産の粗挽き」
 そばがき②:ゆきさん作「八ヶ岳産の発芽そばがき」

 蕎麦①:関根さん作「埼玉新座鞍馬さん収穫の蕎麦」
 蕎麦②:ゆきさん作「茨城笠間の発芽そば」
 蕎麦③:ゆきさん作「宮崎高千穂の発芽そば」
 蕎麦④:関根さん作「静岡産のキタワセ」
 さらに余禄として、関根さんが「かけ」も出してくれた。

 酒はビール(サッポロラガー)、さらに日本酒は静岡の「開運・若竹・富士正」etc.
 ご参加の方々は嬉々として料理と蕎麦、さらにお酒を堪能。
 皆さん方との会話も弾み、実に快適なひと時を過ごせた。
 
 久々に蕎麦専門のブロガーとして高名な、私が師と仰ぐ「つれづれ蕎麦のゆかさん」にもお目に掛かることも出来た。
 「発芽そば ゆき」の新店舗への移転計画なども伺い、極めて有意義な会であった。

 大勢の蕎麦会で準備や茹で上げの作業はさぞや大変だったと思うが、遺漏ない対応がなされ、皆さん満足された様子。
 改めてこの会を催してくれたお二方に、御礼申し上げたい。
 翌朝は朝風呂を浴びた後、ホテル内のレストランでバイキング形式の朝食を摂る。
 和・洋・中華の多くの品目が並び、少しずつ皿にとっても結構なボリューム。
 味の面では一長一短はあるものの、バラエティに富んだ内容でかなり満腹となる。

 9時過ぎにチェックアウトし、駅前から湯布院行きのバスに乗り込む。
 1時間ほどで湯布院の駅前に到着。
 この日は東京でも暑かったようだが、こちらも30℃近いと思われる夏を思わせる陽気。

 前日に乗ったタクシードライバーからも、湯布院はのんびりと歩いて巡るのが相応しい所と聞いていた。
 どこからでも望める「由布岳」が町のシンボルで、その麓のなだらかな丘陵地帯に温泉リゾートが展開されている。

 駅から「金鱗湖」に向かう「湯の坪街道」という道筋には、若者に受けそうな店屋が数多く並んでいる。
 一見すると「原宿」と大差ないように思えるが、一軒ごとに個性があり大人でも楽しめるアートを感じさせる雰囲気は独特。
 ブラブラと散策しながら、色々な店を冷かして歩くのはなかなか楽しい。

 今では湯布院の名前は全国に知れ渡っているが、リゾート地として開発されたのは比較的最近で、若い世代の宿主たちはドイツに渡って理想の町づくりを学んだのだそうだ。
 何処となくその昔訪れたことがある、南ドイツのベルヒテスガルデン辺りに似ているような気がする。

 寄った店の個々の内容は省略する。
 美術館もいくつか在るが、最後に同行の友人の勧めで訪れ、強い印象が残った「COMICO ART MUSEUM」についてのみ少し書き残しておきたい。
 
 こちらはインターネットサービス大手の「NHN JAPAN」が、自然と文化芸術の融和を目的として設けた美術館で、建物の設計は今を時めく「隈研吾」氏。
 周囲に焼き杉板を巡らせた、黒を基調とした落ち着いた雰囲気がこの地の自然い溶け込んでいる。
 入館時刻は20分刻みで定まっており、事前予約が必要なのは、それぞれの組に専属の学芸員が付いて、建物や作品についての細かな説明がなされるため。

 館内はそれほど広くなく、展示物もポップアートの第一人者の「村上隆」氏の6点と、写真家の「杉本博司」氏の5点のみ。
 照明の使い方が見事で、それぞれの展示室は独立しているが、ガラスや水で隔てられているため、互いの世界観が共鳴して芸術性を高めている。

 上階には京都の「竜安寺」の石庭を思わせる、石組みが施された屋上庭園が在り、「由布岳」と一体化した光景も良く計算されている。
 学芸員の説明も分かりやすく、最後にお茶のサービスなどもあり、実に優雅なひと時を過ごせた。
 「杵築 達磨」からは、タクシーを呼んでもらいJR杵築駅に向かう。
 杵築はかつての城下町で、市内には江戸時代の面影が残る一角が在る。
 実際に歩き回ることは無かったが、運転手さんは少し遠回りをしてその道筋をゆっくりと走行し、ちょっとした観光ガイドもやってくれた。

 杵築からは日豊線に乗り、20分ほどで別府に到着。
 ホテルのチェックインの前に、翌日の予定を確認しようと案内所の前まで行くと、表に居た係員がこれから2時間くらいで別府の見どころを回れる、観光タクシーを熱心に勧めてくれた。

 折角別府までやってきたので、体験してみた。
 別府と言えば源泉が方々から噴き出しており、'~地獄'と呼ばれる滾々と湧き出る湯を湛えて池のようになった名所が幾つかある。

 観光バスなどで巡るより小回りが利くため、しかも運転手さんは穴場的なスポットも知っており、短時間ながらなかなか充実した観光が楽しめた。
 巡った所は、ブルーの色合いと立ち上る水蒸気が印象的な「海地獄」、泥の中から熱気がドーム状に噴き出る「坊主地獄」など。
 さらにちょっと怪しげなパワースポットの「貴船城」では「金白龍王」という巨大な白蛇に触れ、そこの天守閣からは雄大な景色が眺められた。
 
 帰りは投宿するホテルまで送ってくれた。
 「亀の井ホテル」という別府でも最も規模が大きく、無難と思われるホテルを選んだが、さすがに温泉は良かった。
 設備も綺麗で良く整っているが、宿泊客の大部分は外人観光客だった。
 予定通りに大分空港に降り立つ。
 天気は上々で、やや強めの日差しが眩しい。

 予約時刻の12:30にはまだ少し余裕があるためロビーで一息ついた後、タクシーでいよいよ「杵築 達磨」に向かう。
 運転手さんに店の名前を告げればすぐに分かるだろうと思っていたが、案外地元では店の存在が周知されていない様子。
 住所を伝えると大体の場所は理解できたようで、とりあえずそちらの方向に進む。
 車窓の左手に広がる水面の煌めきが美しい。

 しかし近くまで行っても目立つ案内板などは無く、店に進入する砂利道の路傍に置かれた小さな看板を見つけて、何とか無事到着。
 別府湾を眼下に望む小高い丘の上に、周囲にゆとりを持たせた贅沢な構えの瀟洒な平屋が建っている。

 我々がタクシーを降りると、ちょうど同じくらいに車で到着した方に、'この辺に蕎麦屋は有りませんか'と訊かれた。
 私は事前に店舗の外観を写真で知っていたので、目の前の建物が目指す蕎麦屋であることが認識できたが、会員制で予約客に限定されるため、入口に看板も暖簾も出ておらず、ここで良いのかは地元の方にも分からなかったようだ。
 当然ながら、食べログでの登録などもなされてはいない。

 店は海の方向に大きく窓を取った開放的な造りで、好天のため余計明るく感じる。
 靴を脱いで上がって進めば、中央に6人掛けのテーブルが置かれ、別に窓に面した横並びの席が6つ有り、我々にはそこの2席が用意されていた。
 店内には高橋さんの姿は見えず、体格の良い40歳前後と思われるお弟子さんが、ホールを仕切っている。

 品書きはかつての「長坂 翁」を彷彿させるシンプルさで、蕎麦の種類は「もりそば」と「田舎そば」に限定。
 場所柄、車を運転して訪れる客が多いわりには、ビールや酒はきちんと載っている。

 まずはビール(プレミアムモルツ小瓶)を一本ずつもらう。
 これには少量の「蕎麦味噌」が付いた。
 次いで酒をもらうが、銘柄は高橋さんが使うことで一茶庵・翁系の多くの店で一般的となった宇都宮の「四季桜」で、私にとっても思い出深い銘酒。
 こちらには「海老の素焼き」のような一品が付いた。
 目の前の景色を眺めつつ、しばし優雅な時間を過ごす。

 蕎麦はほとんどの客が「もり」と「田舎」の両方を頼むようで、我々も一枚づつ注文。
 まずつゆと薬味が運ばれ、先につゆを少量含んでみたが、出汁の香りが気高く'かえし'とのバランスの取れた慣れ親しんだ味わいに、思わず笑みがこぼれる。
 高橋さんが考案し、今でも弟子や孫弟子の店の多くで見かける四角い「薬味皿」も懐かしい。

 蕎麦は食べごろを見計らって、時間差を置いて出される。
 「もり」はスタンダードな'二八'で、私にとっては最も安心できるタイプ。
 「田舎」はやや太めだが、野趣の無い洗練されたスタイル。
 いずれも香り・食感・のど越し、いずれにも秀でた理想的な出来栄えである。
 
 蕎麦の追加を訊かれたので、さらに「もり」を2人で一枚追加する。
 蕎麦湯は独特の形状の大きな湯桶で出されたが、中身は当然ながら自然体で、すっきりと伸びる。
 美味いつゆを割って余さず飲み干して、満足感に浸る。

 食べ終わった頃、御大の高橋さんが奥から挨拶に出てこられた。
 往年の恰幅の良いお姿とは異なり、腰が曲がり随分と小さくなられた印象で、体調も万全ではないようだ。
 昔のことなどを話しても、私のことははっきりとは覚えていらっしゃらない様子はやや残念だった。
 
 現在は茹で上げの作業はやられているようだが、蕎麦打ちについては弟子の方に任せているようだ。
 50年にわたり続けてきた蕎麦打ちの作業は、肉体的にも精神的にもかなりの負担が身体に掛かっていたものと思われる。
 多くの弟子の育成にも、ご苦労が多かったことが窺える。

 実際に現在、直弟子が全国各地や海外にまで設けた店は「翁達磨グループ」として、40軒ほどが名前を連ねている。
 さらに孫弟子・曾孫弟子まで含めると、かなりの蕎麦屋にその技術が引き継がれている。

 正直だいぶお年を召されたという印象は拭えなかったが、長年の懸案だったこちらを訪れ、高橋さんに直にお礼の言葉を伝えられたことは嬉しかった。
 帰り際には30年ぶりにお目に掛かった奥さんとも、言葉を交わすことが出来た。
 
 体調面に配慮すれば、以前のように全国を巡られる頻度は少なくなると思われる。
 風光明媚で温暖な気候のこの地を'終の棲家'として、のんびりと過ごされることを切に望みつつ、店を後にした。
 蕎麦好き人間のみならず、食について関心のある方なら「高橋邦弘」さんの名前を知らない人は居ないと思う。
 一時に比べればマスコミに登場することは減ったが、かつては蕎麦打ち名人として、多くのテレビ番組で人となりや技量が紹介され、ご本人の著作も多い。

 元々はサラリーマンだったが、30歳を前にして脱サラして蕎麦職人を目指し、足利一茶庵の祖である「片倉康雄」氏に入門。
 すぐに頭角を現し2年の修業の後に独立し、東京の南長崎に「翁」という蕎麦屋を開業。

 私が「翁」に最初に訪れたのは、40年以上前のまだ学生の頃だったが、すぐに高橋さんが打つ蕎麦に魅了され、我が家の近所からバス一本で行ける場所でもあったため、社会人になってからも月2回くらいのペースで通いつめた。
 高橋さんはじめ、奥さんやお母さんには大変お世話になり、多くの好ましい思い出が残っている。

 私が蕎麦好き人間になった発端は、元々我が家が下町の出であったため、江戸前の老舗蕎麦屋に幼少のころから馴染みが有ったこと。
 さらに自宅の近所に12.3歳の頃、今は無き「ねりま田中屋」が誕生したことが挙げられるが、最も大きな要因は高橋さんの「翁」を知ったことと自覚している。

 その後「翁」は某グルメ評論家により'東京で一番美味い蕎麦屋'と紹介されるや、瞬く間に人気が高まり、連日方々から客が押し寄せる超繁忙店となってしまう。
 そこで高橋さんは新天地を求めて、山梨の甲斐駒ヶ岳の麓の丘陵地帯に店を移転させた。
 それが「長坂 翁」であり、私はそちらにも車で中央高速を飛ばして、3回ほど訪れたことがある。

 しかし15年ほどして長坂の店を弟子に任せて、広島県の山間部の豊平町と言う、かなり奥まったところへ居を移し、屋号を「達磨」と改めて限られた日にちのみ営業し、日常は弟子の育成に専念する。
 さらに4.5年前、今度はもっと遠い大分の杵築市を'終の棲家'として移転してしまった。

 現在高橋さんは、そこで週末に限り客を迎える会員制の蕎麦屋を営む一方、全国各地で催されるイベントに招聘されるなど、結構多忙な日々を送られている。
 私も年末に東京永田町の「黒澤」で開催される蕎麦の会には、何回か出席したことがあり、そこでお顔を拝見することは有るが、親しくお話する機会は無かった。

 一度ゆっくりとお目に掛かり、お礼を申し上げたいと思うものの、何しろなかなか訪れるには困難な場所である。
 さらに調べてみると、現在は新たな会員の募集はしていないとのことで、到底無理と諦めかけていた。

 しかし最近になって幸運にも、手立てを講じていただけるチャンスに恵まれて会員登録が無事完了。
 そうなると是非とも伺いたい気持ちが、頭をもたげてきた。

 「杵築 達磨」の営業は基本的に土・日に限られ、しかも他の予定が入っている場合は開けないため、前もって日程を確認。
 友人と2人で向かおうと相談し、5月の連休中は何かと忙しくなるため、その前の4月の土曜日に予約を入れる。
 
 席数は12で、営業時間も昼のみの11時から一時間半刻みの3交代制となっており、我々は12:30からの組を選ぶ。
 場所を確認すると、大分空港からタクシーで20分ほどの比較的便の良い所とのこと。

 時間を見計らって、当日朝の羽田からのフライトを予約。
 折角なのでその近辺も観光しようと、この日は杵築からはそれほど遠くない別府で一泊、翌日は湯布院などを巡り、日曜日の最終便で帰京するスケージュールを立てる。

 高橋さんには数日前に、久々にお目に掛かれること、手ずからの蕎麦を味わえることの嬉しさを、文書にしたためて郵送しておいた。
 果たして私のことを覚えて頂いているかは分からないが、期待に胸を膨らましつつ西へ向かって飛び立った。


 ちなみに写真は、早めに到着したため、朝食代わりに空港で買い求めてロビーで包みを解いた「空弁」。
 「ヨシカミ」のカツサンドと「よねすけ」の天むすをコラボさせたものだが、味はまずまずで、741円という手ごろな値段も良かった。
 江戸前の老舗の中でも、私が子供のころから最も馴染み深い蕎麦屋が「神田まつや」であるが、最近の他の方の書き込みについて思うことが有り、この場を借りて少し述べさせていただきたい。

 それは、いまだに「池波正太郎氏」の名前を持ち出すレビュアーが多いことである。
 池波さんが生前こちらの店に頻繁に足を運んでいたのは事実だが、彼が亡くなってからすでに30年近く経ている。
 最晩年はほとんど外出もままならぬ状況だったことを考えると、彼が活発に食べ歩きをしていたのは1980年代半ばまでということになる。
 
 私も30歳代の頃は彼のエッセイなどを参考に、都内の店を巡り歩いたことがあり、好ましい思い出が残っている。
 しかしはっきり申し上げて、あの中に登場する飲食店の情報は、今の世の中に通用する部分は極めて少ない。

 彼は蕎麦・鮨・鰻・天ぷらと言った江戸前料理だけでなく、洋食や中華などにも精通するハイカラな粋人だったことは知られているが、その頃と現在では都内の飲食店事情は大きく様変わりしている。
 言い換えれば、もし池波さんが今でも存命ならば、結構新しもの好きだった彼のこと、もっと多くの店を廻り全く異なる記録を残されたと思われる。

 「まつや」は確かに建物も当時のままで、味もサービスも当時とほとんど変わっていない。
 しかし新進の蕎麦屋がこれだけ多く誕生している状況に置かれれば、こちら以上に足繁く通ったり高評価する処が現れることは想像に難くない。

 彼の食べ歩き日記は、過去の東京の食文化を知る上では大いに参考になるが、これを今の世の中に当て嵌めることには無理がある。
 何時までも彼の後ろを追いかけてもあまり意味は無く、またその逆に、最早歴史上の人物と言っても過言ではない彼の足跡を、現代の人間が貶すような行為も的外れと言わざるを得ない。 
 
 
 皆様、明けましておめでとうございます。
 どなた様もお健やかにて新年を迎えられたことと、お慶び申し上げます。
 東京は麗らかな晴天に恵まれ、私も心穏やかに初春を寿いでおります。

 私が子供の頃は年賀に訪れる客も多かったため、年末には家族総出で大掃除をしたり、お節料理を大量に仕込んだりしたものでしたが、今ではそう言った仕来たりも無くなりました。
 その後両親が健在だった10年ほど前までは、名の通った料亭などの「おせち」を取り寄せたりもしていましたが、恭しく重箱に詰められていても、そのほとんどが濃い目の味付けで、値段の割には満足度はほどほどと言う印象が毎回でありました。

 ここ数年は正月らしさを残しつつ、自分の食べたいものだけを作ることに専念しております。
 盛り付けも庭から摘んできた葉っぱ類を飾り、体裁だけは整いましたので、烏滸がましくも写真も載せさせていただきます。

 蒲鉾は毎年懇意にしている方からお歳暮にいただく、竹やぶ系の蕎麦屋で「板わさ」として出されることでも有名な、紀州田辺の「たな梅」製の逸品の盛り合わせ。
 あん肝は昨年秋に旅行で訪れた際に大洗で購入し、冷凍して置いたものです。

 しかしそれ以外のほとんどは手作りで、何れも塩分・糖分・酸味を極力控えて、酒に合うような味付けを心掛けました。
 鯛の揚げ物は我が家伝統の一品で、少量ずつ摘んでも補充が効くようにしてあり、蛸の刺身のつまは紅白膾風に工夫してみました。

 雑煮は焦げ目を付けて焼いた角餅に、具材は鶏肉と小松菜で、江戸前ならではのさっぱりとした澄し汁仕立て。
 この時だけに引っ張り出す「会津塗」の椀に盛ることで、気持ちを高めてみた次第です。
 今年もあと数時間を残すまでとなってしまった。
 ここ2.3年の年の暮れには、いつも食べ歩きに付き合ってもらっている友人と二人で、ちょっとした店を予約して訪れ、一年の締めくくりのディナーを楽しむことが慣例となっていた。

 しかし今年は趣を変えて私の手料理での食事会で、お茶を濁してしまった。
 久しぶりに「オイルフォンデュー」の道具を引っ張り出して、食材を切り揃えて並べただけなので、料理と言うほどのことも無い。
 しかし串に刺した具材を自分で揚げながら、ワインを開けてのひと時はなかなか楽しかったので、恥ずかしながら写真も掲載させていただいた。

 その折にお相手の方が手土産に持参されたお菓子が、大変美味しかった。
 新宿の伊勢丹はじめ多くのデパートに出店している「BEL AMER」というチョコレート専門店の「和栗のフォンダンショコラ」で、上品な甘さとしっとりとした食感が印象的だったので、合わせて紹介させていただく。
 
 一年の蕎麦の食べ納めは、長年にわたり懇意にしている三田の隠れ家的蕎麦屋に、昨晩(30日)出掛けて来た。
 極めて満足度の高いひと時を過ごせたが、こちらの店はレビューはもとより、写真掲載も慎むべき店なので、その内容についてはご想像にお任せする。


 今年も相変わらず、都内の蕎麦屋を中心にぽつぽつと書き込みを重ねてまいりました。
 多くの皆さんにご覧いただき、また沢山の'いいね'やコメントを頂戴し、改めて御礼申し上げます。

 来年も引き続き、どうぞ宜しくお願いいたします。
 どなた様も、良いお年をお迎えください。
 
 先月'発展的に閉店'に至った芝の「蕎麦 案山子」が、白金に近い三田で、新たに「案山子」として復活。
 ご主人の山田さんから案内状をいただき、開店から4日目に伺った。

 落ち着いた環境に在り、一見客を当てにしない控えめな地下店舗は、まさに「粋な大人の隠れ家」である。
 少し前まで目黒でイタリアンダイニングをやられていた奥様と二人でひっそりと営む、実に雰囲気の良い店が出来上がった。
 もちろん気の利いた料理の数々と、選りすぐった酒で蕎麦前を楽しみ、その後で蕎麦を手繰るというスタイルは引き継がれている。

 限られた客のみを相手にする営業形態で、訪店時は事前に電話で確認が必要。
 店内および、料理・メニューの写真撮影は一切禁止。
 グルメサイトへの投稿も、基本的には避けて欲しいとのこと。


 食べログでは名店復活の報告として、とりあえず店舗登録だけはさせていただいた。
 先日蕎麦関係の雑誌の中で文明と文化の違いを、麺類に当てはめる記事が載っていた。
 そこでは、うどんや地方における蕎麦は文明であるが、江戸前の流儀に則った蕎麦は文化であると述べられていたが、大いに頷けた。
 
 「文明」とは客観的合理性を持つ普遍的なものだが、「文化」は不合理なもので、ある一定の地域や民族だけに通用する特別なものである。
 そこには歴史の流れや、その土地に生きる人間の情緒とか美意識が絡んで来る。
 他所の人間から見れば不可解と受け取られることも当然であり、それは食文化の中にも間々見られることである。

 人類が知恵を絞って小麦や蕎麦を麺に仕立てたのは文明であるが、東京における蕎麦はまさに文化として根づいていると記されていたが、まさにその通りだと思う。
 「蕎麦前」という地方には見られない特殊な食文化が醸成されたことは、江戸時代からの歴史の流れと、江戸っ子の思い入れの所産であることは紛れの無い事実である。
 時代は流れ、歴史的な様々な事象により、江戸前の蕎麦文化もそれにより大きく翻弄されることとなる。
 明治維新以降、地方との人の往来が活発になったこと。
 関東大震災をきっかけとして、上方の食文化との交流が生まれたこと。
 さらに戦中戦後の食糧事情が悪化した頃は、当然ながら蕎麦屋が蕎麦だけを商ってはおられない時期であった。

 さらに高度経済成長期には、地方からの人口流入に伴い、飯屋不足から多くの蕎麦屋が食事処へと変貌してしまった。
 現在でも蕎麦屋を、単に食事の場ととらえている方も多い様だ。
 
 しかし東京の「蕎麦屋酒」の伝統は決して廃れること無く、蕎麦屋は酒を嗜む処という感覚は、東京人の気質の中に根強く残っている。
 大抵の蕎麦屋では'蕎麦前有りき'を前提とした仕事が施されており、そこには各店の志向が顕れているため、その意を迎えることに、何の躊躇う必要は無い。

 地方出身の方の中には、蕎麦屋は蕎麦の出来だけで評価すべしという考えをお持ちの人も多い。
 しかしこと江戸前の蕎麦屋においては「蕎麦前」の良し悪しを含めて論じなければ、片手落ちと言わざるを得ない。
 昨今はやたらと蕎麦の品種や産地に拘り、まさに「蕎麦鑑定人」と言うほどの造詣をお持ちの、所謂「蕎麦マニア」が多く出現している。
 また蕎麦好きを自認される方の中には、'蕎麦は香りが命'と豪語されたり、'十割蕎麦こそが本物で、つなぎを入れた蕎麦など邪道'と公言する輩まで居る有様である。
 しかしこれは蕎麦の歴史においては、ごく最近の傾向に過ぎず、江戸前の伝統とは相容れない考え方である。

 昔は今のように自家製粉などを行う蕎麦屋は皆無で、秋に収穫され、それを粉に挽いた蕎麦粉を一年で使い切るわけだから、香りの有る蕎麦を味わえる時期は限られていた。
 江戸の蕎麦通の間でも、新蕎麦の出回る時期に香りを愛でる習慣は有ったが、それをはずした時期では専ら、シャキッとした食感と喉越しの良さが第一であり、それほど香りには執着は無かった。

 また現在ほど挽きや打ちの技術が発達していなかった昔は、つなぎ無しの生粉打ちでは、食感の悪いぼそぼその蕎麦にしかならなかった。
 そのため蕎麦粉に小麦粉を2割ほど混ぜた、所謂「二八」の細さと滑らかさが持て囃された訳だが、ここにも江戸っ子の嗜好が顕れている。
 香りに執着しなかったことが逆に幸いし、豊富な種物や変わり蕎麦の誕生などの、華やかな蕎麦文化が開花したと言っても過言では無い。

 また近頃は満足につゆが作れなかった地方の慣習を真似て、蕎麦を水に浸したり、塩を振って悦に入っている方々も居るようだ。
 しかし幕末以降、関東近郊で醤油の醸造技術が進んだことにより、つゆ作りに手間を掛けるようになったのも、江戸前の特徴である。
 蕎麦本来の味よりも'蕎麦屋の個性はつゆに有り'という考え方も、多くの店の仕事の中に受け継がれている。
 いつもご訪問頂いている関西にお住いのマイレビュアーさんから、「趣味食」としての蕎麦についてのご質問が有った。
 この際、私が拙い知識の内でまとめた、独自の発展を遂げた「江戸前蕎麦」に対する考察を、何回かに分けて述べていきたいと思う。


 東京の蕎麦屋は居酒屋では無いかと言う意見を度々耳にするが、それも尤もな話である。
 これは蕎麦屋というものが、元々地方と東京ではその役割が異なり、それは江戸時代から続く食習慣の違いに起因する。

 蕎麦は米や麦が満足に穫れない痩せた土地でも収穫できるため、地方の特に信州や東北、山陰や四国・九州の山間部では、昔から重要な主食として扱われていた。
 しかし江戸の市中においては、いささか事情が異なった。
 天下泰平の世が続く中、都市部に住まう江戸っ子の主食はあくまでも白米であったもの。
 そんな都会で最初は雑穀のひとつとして見做されていた蕎麦であったが、食生活にゆとりが生まれるにつれ、その瀟洒な味わいは江戸の風流人の目に留まり、歓迎されるところとなる。

 江戸時代も末期になると、蕎麦は食事の手段では無く、一種の嗜好品として扱われ、「趣味食」という色合いを見せて来る。
 秋口の新蕎麦の香りを愛でることに加え、季節感を盛り込む「種物」が次々と誕生したり、外側と中心では特性が異なるその実を挽き分けて打つことや、それに色や香りを添える「変わり蕎麦」の手法も編み出された。

 一方大店の旦那衆や粋人の間で、蕎麦を酒を呑む風習が生まれたのも、当然の成り行きであった。
 それが庶民にまで広まり、元々居酒屋と言う特定の業種が存在しなかった当時は、'酒を呑むなら蕎麦屋に行け'と言われ、蕎麦屋がその役割を果たすこととなる。

 独り者の職人が多かった江戸の町では、仕事帰りに蕎麦屋に寄って簡単な肴で一杯やって蕎麦を手繰るのが、彼らの楽しみのひとつであった。
 そのため蕎麦屋は「江戸四大料理」の中でも、天然ものしか無かったため、昔から高級料理であった鰻屋に注ぐ地位に在り、屋台売りが中心で腐りやすい生物を扱う、天婦羅屋や鮨屋よりも格は高かった。

 こと蕎麦に関しては、米の代用食のような野暮ったいイメージは無く、また形状が似ているため並んで語られることの多いうどんに対して「患っためめず」と蔑んだ話も有るように、端から腹ふさぎの手段だったうどんよりも、蕎麦は格上の存在であった。
 現在でも東京の老舗蕎麦処で盛りが少ないのは、そういった歴史的な背景が有り、'蕎麦屋で満腹になるなど無粋'という価値観は、現在でも東京人の気質の中に受け継がれている。 
 先日、五反田の「日南」で催された、大阪に転勤が決まったハラミ串さんの壮行会に出席させていただいた。
 こちらの店はハラミ串さんのお名前の発端となった店で有るとも伺っており、幹事さんからのお誘いで私も参加させてもらった。
 
 この日に参集したレビュアーさんは、ご本人も含めて12名。
 こちらの他にも食べログ関係の壮行会だけでも、4件が催されるとのこと。
 改めてハラミ串さんのお付き合いの広さと、そのお人柄よりの人望の高さが伺える。

 私もハラミ串さんとは多くのお店でご一緒し、オフ会にお誘い頂いたり、私が主催の会にもご出席くださったりしてお世話になった。
 何よりも蕎麦屋専門のレビュアーであった私に、多くのお店を紹介していただき、食べ歩きの幅を広げて下さったことには、改めて感謝申し上げたい。

 大阪は「食い倒れの街」で、より一層のレビュアー活動が期待される。
 これからも大阪ならではの幅広いジャンルでのレビュー、楽しみにさせていただきます。

 (当日の「日南」での様子は、幹事さん始め他のレビュアーさんが、書き込みされていますので、私は日記にて失礼させていただきました)
 中野区内を中心に数多くのレビューを書かれているマイレビュアーの「mamezo 24」さんから、実に魅力的なお誘いが有った。
 懇意にされている中野坂上のイタリアン「ラ・フレッチャ」の店舗を、定休日の一晩を借り受け、手ずからの料理をふるまい、さらに蕎麦を出す会を催されるとのこと。
 私にとっては願ってもないお話であり、二つ返事で出席を申し出る。

 この会は今回で2回目とのことで、mamezo24さんご自身により、食べログにも「清澄」という店名で登録されている。
 しかし営利が目的では無く、あくまでも親しいレビュアーさん同士の交流の場としての趣が強いため、私は日記にて当日の様子を伝えさせていただくことにする。
 

 参集したレビュアーは、ご本人を含めて8名の面々。
 ほとんどの方は初対面だが、日ごろからコメントのやり取りでお馴染みの方もいらっしゃり、すんなりとお仲間に入れて有り難い。

 会費は料理と飲み物で4,000円という、採算度返しと思える設定。 
 酒もある程度は飲み放題という事で、早速生ビールやスパークリングなどが調子良く空いていく。

 蕎麦前の料理は次の通り。
「岩手赤崎産牡蠣のバルサミコソース」
「クラテッロジベッロ発酵バター添え」
「北海道産真鱈白子と根菜のソテー」
「宮崎産鶏白レバーのキッチンスモーク」
「帆立、玉ねぎ、人参、三つ葉のかき揚げ」

 内容について述べようと思ったが、当日ご一緒して頂いたのメンバーの方が直接「清澄」に、微に入り細を穿つ完璧なレビューをアップされているので、そちらをご覧いただきたい。

 私の本分である「蕎麦」についてのみ、多少言及させていただく。
 この日出された蕎麦は2種類で、
 一つ目は諏訪の高山製粉の「白樺」という粉を使用。
 回転数を下げて挽くことにより、甘皮の配合を抑えた白っぽい粉で、いわゆる「更級」的な色合いとなっている。
 二つ目は小諸の大西製粉の「信州石臼挽き」で、どちらかという挽きぐるみのタイプの粉で、仕上がりはやや野趣に富み黒っぽい。

 いずれもつなぎ無しの十割だそうで、香りは十分。
 切りは大人数のためパスタマシーンを使われたようだが、蕎麦打ちで最も大事な最初の「水回し」の段階から、きちんとした仕事が施されているため、つながりは良く、適度なコシとのど越しを兼ね備えた見事な仕上がりである。
 もちろん茹で上げにおける精妙さがあってこその成せる業で、この点でも完璧に近い仕事ぶりであった。
 
 麺に多少の粘りが感じられる「白樺」の方が、歯当たりの心地よさで皆さんには好評だったようだが、私はどちらも素晴らしい出来であったと思う。

 いずれにせよ蕎麦屋仕様でない設備で、これだけの技を披露してくださったmanezo24さんの熱意と努力には、頭の下がる思いである。   
 「検校」を出たのはまだ外は明るさの残る4時過ぎ、いろいろな銘柄を楽しんだものの、トータルするとそれほどの酒量にはなっていない。
 もう一軒如何ですかと聴かれて、断る理由はもちろん無い。
 
 次に向かったのは日暮里の居酒屋「いずみや」。
 場所は駅前からロータリーを渡った真前という便の良い所。

 店内はコの字型のカウンターが中心で、ほとんどの席が常連の中高年男性(いわゆるオヤジ)で埋まっている。
 見上げる場所に置かれたテレビから大相撲中継が流れ、それに一喜一憂しながらの和気あいあいの空気感が店内に満ちている。

 飲み物は連れの方々と一緒に「ホッピー」を注文。
 肴には「イカフライ」「ハムエッグ」「肉豆腐」「お新香」などを頼んだが、これにご飯とみそ汁を付ければ、そのまま定食となるお惣菜的なラインナップ。

 こういったタイプの店に足を運ぶ機会はあまり無いが、何か昭和の香りが漂う雰囲気に懐かしさを覚えたひと時であった。 
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