『念願の「杵築 達磨」訪問(本編)』蓼喰人さんの日記

蓼喰人の「蕎麦屋酒」ガイド

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蓼喰人 (男性・東京都) 認証済

日記詳細

 予定通りに大分空港に降り立つ。
 天気は上々で、やや強めの日差しが眩しい。

 予約時刻の12:30にはまだ少し余裕があるためロビーで一息ついた後、タクシーでいよいよ「杵築 達磨」に向かう。
 運転手さんに店の名前を告げればすぐに分かるだろうと思っていたが、案外地元では店の存在が周知されていない様子。
 住所を伝えると大体の場所は理解できたようで、とりあえずそちらの方向に進む。
 車窓の左手に広がる水面の煌めきが美しい。

 しかし近くまで行っても目立つ案内板などは無く、店に進入する砂利道の路傍に置かれた小さな看板を見つけて、何とか無事到着。
 別府湾を眼下に望む小高い丘の上に、周囲にゆとりを持たせた贅沢な構えの瀟洒な平屋が建っている。

 我々がタクシーを降りると、ちょうど同じくらいに車で到着した方に、'この辺に蕎麦屋は有りませんか'と訊かれた。
 私は事前に店舗の外観を写真で知っていたので、目の前の建物が目指す蕎麦屋であることが認識できたが、会員制で予約客に限定されるため、入口に看板も暖簾も出ておらず、ここで良いのかは地元の方にも分からなかったようだ。
 当然ながら、食べログでの登録などもなされてはいない。

 店は海の方向に大きく窓を取った開放的な造りで、好天のため余計明るく感じる。
 靴を脱いで上がって進めば、中央に6人掛けのテーブルが置かれ、別に窓に面した横並びの席が6つ有り、我々にはそこの2席が用意されていた。
 店内には高橋さんの姿は見えず、体格の良い40歳前後と思われるお弟子さんが、ホールを仕切っている。

 品書きはかつての「長坂 翁」を彷彿させるシンプルさで、蕎麦の種類は「もりそば」と「田舎そば」に限定。
 場所柄、車を運転して訪れる客が多いわりには、ビールや酒はきちんと載っている。

 まずはビール(プレミアムモルツ小瓶)を一本ずつもらう。
 これには少量の「蕎麦味噌」が付いた。
 次いで酒をもらうが、銘柄は高橋さんが使うことで一茶庵・翁系の多くの店で一般的となった宇都宮の「四季桜」で、私にとっても思い出深い銘酒。
 こちらには「海老の素焼き」のような一品が付いた。
 目の前の景色を眺めつつ、しばし優雅な時間を過ごす。

 蕎麦はほとんどの客が「もり」と「田舎」の両方を頼むようで、我々も一枚づつ注文。
 まずつゆと薬味が運ばれ、先につゆを少量含んでみたが、出汁の香りが気高く'かえし'とのバランスの取れた慣れ親しんだ味わいに、思わず笑みがこぼれる。
 高橋さんが考案し、今でも弟子や孫弟子の店の多くで見かける四角い「薬味皿」も懐かしい。

 蕎麦は食べごろを見計らって、時間差を置いて出される。
 「もり」はスタンダードな'二八'で、私にとっては最も安心できるタイプ。
 「田舎」はやや太めだが、野趣の無い洗練されたスタイル。
 いずれも香り・食感・のど越し、いずれにも秀でた理想的な出来栄えである。
 
 蕎麦の追加を訊かれたので、さらに「もり」を2人で一枚追加する。
 蕎麦湯は独特の形状の大きな湯桶で出されたが、中身は当然ながら自然体で、すっきりと伸びる。
 美味いつゆを割って余さず飲み干して、満足感に浸る。

 食べ終わった頃、御大の高橋さんが奥から挨拶に出てこられた。
 往年の恰幅の良いお姿とは異なり、腰が曲がり随分と小さくなられた印象で、体調も万全ではないようだ。
 昔のことなどを話しても、私のことははっきりとは覚えていらっしゃらない様子はやや残念だった。
 
 現在は茹で上げの作業はやられているようだが、蕎麦打ちについては弟子の方に任せているようだ。
 50年にわたり続けてきた蕎麦打ちの作業は、肉体的にも精神的にもかなりの負担が身体に掛かっていたものと思われる。
 多くの弟子の育成にも、ご苦労が多かったことが窺える。

 実際に現在、直弟子が全国各地や海外にまで設けた店は「翁達磨グループ」として、40軒ほどが名前を連ねている。
 さらに孫弟子・曾孫弟子まで含めると、かなりの蕎麦屋にその技術が引き継がれている。

 正直だいぶお年を召されたという印象は拭えなかったが、長年の懸案だったこちらを訪れ、高橋さんに直にお礼の言葉を伝えられたことは嬉しかった。
 帰り際には30年ぶりにお目に掛かった奥さんとも、言葉を交わすことが出来た。
 
 体調面に配慮すれば、以前のように全国を巡られる頻度は少なくなると思われる。
 風光明媚で温暖な気候のこの地を'終の棲家'として、のんびりと過ごされることを切に望みつつ、店を後にした。
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