『食文化として根づく「江戸前蕎麦」③』蓼喰人さんの日記

蓼喰人の「蕎麦屋酒」ガイド

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蓼喰人 (男性・東京都) 認証済

日記詳細

 時代は流れ、歴史的な様々な事象により、江戸前の蕎麦文化もそれにより大きく翻弄されることとなる。
 明治維新以降、地方との人の往来が活発になったこと。
 関東大震災をきっかけとして、上方の食文化との交流が生まれたこと。
 さらに戦中戦後の食糧事情が悪化した頃は、当然ながら蕎麦屋が蕎麦だけを商ってはおられない時期であった。

 さらに高度経済成長期には、地方からの人口流入に伴い、飯屋不足から多くの蕎麦屋が食事処へと変貌してしまった。
 現在でも蕎麦屋を、単に食事の場ととらえている方も多い様だ。
 
 しかし東京の「蕎麦屋酒」の伝統は決して廃れること無く、蕎麦屋は酒を嗜む処という感覚は、東京人の気質の中に根強く残っている。
 大抵の蕎麦屋では'蕎麦前有りき'を前提とした仕事が施されており、そこには各店の志向が顕れているため、その意を迎えることに、何の躊躇う必要は無い。

 地方出身の方の中には、蕎麦屋は蕎麦の出来だけで評価すべしという考えをお持ちの人も多い。
 しかしこと江戸前の蕎麦屋においては「蕎麦前」の良し悪しを含めて論じなければ、片手落ちと言わざるを得ない。
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