江戸前の老舗の中でも、私が子供のころから最も馴染み深い蕎麦屋が「
神田まつや」であるが、最近の他の方の書き込みについて思うことが有り、この場を借りて少し述べさせていただきたい。
それは、いまだに「池波正太郎氏」の名前を持ち出すレビュアーが多いことである。
池波さんが生前こちらの店に頻繁に足を運んでいたのは事実だが、彼が亡くなってからすでに30年近く経ている。
最晩年はほとんど外出もままならぬ状況だったことを考えると、彼が活発に食べ歩きをしていたのは1980年代半ばまでということになる。
私も30歳代の頃は彼のエッセイなどを参考に、都内の店を巡り歩いたことがあり、好ましい思い出が残っている。
しかしはっきり申し上げて、あの中に登場する飲食店の情報は、今の世の中に通用する部分は極めて少ない。
彼は蕎麦・鮨・鰻・天ぷらと言った江戸前料理だけでなく、洋食や中華などにも精通するハイカラな粋人だったことは知られているが、その頃と現在では都内の飲食店事情は大きく様変わりしている。
言い換えれば、もし池波さんが今でも存命ならば、結構新しもの好きだった彼のこと、もっと多くの店を廻り全く異なる記録を残されたと思われる。
「まつや」は確かに建物も当時のままで、味もサービスも当時とほとんど変わっていない。
しかし新進の蕎麦屋がこれだけ多く誕生している状況に置かれれば、こちら以上に足繁く通ったり高評価する処が現れることは想像に難くない。
彼の食べ歩き日記は、過去の東京の食文化を知る上では大いに参考になるが、これを今の世の中に当て嵌めることには無理がある。
何時までも彼の後ろを追いかけてもあまり意味は無く、またその逆に、最早歴史上の人物と言っても過言ではない彼の足跡を、現代の人間が貶すような行為も的外れと言わざるを得ない。