『念願の「杵築 達磨」訪問(序章)』蓼喰人さんの日記

蓼喰人の「蕎麦屋酒」ガイド

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蓼喰人 (男性・東京都) 認証済

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 蕎麦好き人間のみならず、食について関心のある方なら「高橋邦弘」さんの名前を知らない人は居ないと思う。
 一時に比べればマスコミに登場することは減ったが、かつては蕎麦打ち名人として、多くのテレビ番組で人となりや技量が紹介され、ご本人の著作も多い。

 元々はサラリーマンだったが、30歳を前にして脱サラして蕎麦職人を目指し、足利一茶庵の祖である「片倉康雄」氏に入門。
 すぐに頭角を現し2年の修業の後に独立し、東京の南長崎に「翁」という蕎麦屋を開業。

 私が「翁」に最初に訪れたのは、40年以上前のまだ学生の頃だったが、すぐに高橋さんが打つ蕎麦に魅了され、我が家の近所からバス一本で行ける場所でもあったため、社会人になってからも月2回くらいのペースで通いつめた。
 高橋さんはじめ、奥さんやお母さんには大変お世話になり、多くの好ましい思い出が残っている。

 私が蕎麦好き人間になった発端は、元々我が家が下町の出であったため、江戸前の老舗蕎麦屋に幼少のころから馴染みが有ったこと。
 さらに自宅の近所に12.3歳の頃、今は無き「ねりま田中屋」が誕生したことが挙げられるが、最も大きな要因は高橋さんの「翁」を知ったことと自覚している。

 その後「翁」は某グルメ評論家により'東京で一番美味い蕎麦屋'と紹介されるや、瞬く間に人気が高まり、連日方々から客が押し寄せる超繁忙店となってしまう。
 そこで高橋さんは新天地を求めて、山梨の甲斐駒ヶ岳の麓の丘陵地帯に店を移転させた。
 それが「長坂 翁」であり、私はそちらにも車で中央高速を飛ばして、3回ほど訪れたことがある。

 しかし15年ほどして長坂の店を弟子に任せて、広島県の山間部の豊平町と言う、かなり奥まったところへ居を移し、屋号を「達磨」と改めて限られた日にちのみ営業し、日常は弟子の育成に専念する。
 さらに4.5年前、今度はもっと遠い大分の杵築市を'終の棲家'として移転してしまった。

 現在高橋さんは、そこで週末に限り客を迎える会員制の蕎麦屋を営む一方、全国各地で催されるイベントに招聘されるなど、結構多忙な日々を送られている。
 私も年末に東京永田町の「黒澤」で開催される蕎麦の会には、何回か出席したことがあり、そこでお顔を拝見することは有るが、親しくお話する機会は無かった。

 一度ゆっくりとお目に掛かり、お礼を申し上げたいと思うものの、何しろなかなか訪れるには困難な場所である。
 さらに調べてみると、現在は新たな会員の募集はしていないとのことで、到底無理と諦めかけていた。

 しかし最近になって幸運にも、手立てを講じていただけるチャンスに恵まれて会員登録が無事完了。
 そうなると是非とも伺いたい気持ちが、頭をもたげてきた。

 「杵築 達磨」の営業は基本的に土・日に限られ、しかも他の予定が入っている場合は開けないため、前もって日程を確認。
 友人と2人で向かおうと相談し、5月の連休中は何かと忙しくなるため、その前の4月の土曜日に予約を入れる。
 
 席数は12で、営業時間も昼のみの11時から一時間半刻みの3交代制となっており、我々は12:30からの組を選ぶ。
 場所を確認すると、大分空港からタクシーで20分ほどの比較的便の良い所とのこと。

 時間を見計らって、当日朝の羽田からのフライトを予約。
 折角なのでその近辺も観光しようと、この日は杵築からはそれほど遠くない別府で一泊、翌日は湯布院などを巡り、日曜日の最終便で帰京するスケージュールを立てる。

 高橋さんには数日前に、久々にお目に掛かれること、手ずからの蕎麦を味わえることの嬉しさを、文書にしたためて郵送しておいた。
 果たして私のことを覚えて頂いているかは分からないが、期待に胸を膨らましつつ西へ向かって飛び立った。


 ちなみに写真は、早めに到着したため、朝食代わりに空港で買い求めてロビーで包みを解いた「空弁」。
 「ヨシカミ」のカツサンドと「よねすけ」の天むすをコラボさせたものだが、味はまずまずで、741円という手ごろな値段も良かった。
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