ソレは、ある日突然、急にやってきた。
食べログを始めた頃を、今あらためて振り返ると、食べる楽しさと、ソレをレビューし反応を得る楽しさのバランスがおかしくなりかけていた頃があると思う。
インスタもツイッターもフェイスブックさえも使ったコトの無い人間である。
最近ようやく、ラインというモノを知った。
同列で語っていいモノかどうかの判断さえつかない。(笑)
時代遅れ、華々しい人間である。
そんな僕が食べログを何故始めたかと言えば、あるコトをより多くの人に発信したかったからである。
偽善的だと言われるかも知れないが、京都を離れ約25年後に、東京にもウマい「天下一品」があるコトを知り、ソレをどうしても、多くの同郷人に伝えたかった。ただ、それだけである。
よくよく考えれば、味や料理にウルさいし、それなりにこだわりも持っていたが、客観的に反芻したりする作業はなかったように思う。
だから、ある意味無頓着で、東京の「天下一品」はウマくないと長年思い込んでいたし、そう同郷人からの意見も一致していたし、わざわざネットなどで検索して調べるなどとは考えたコトもなかったのかも知れない。
東京に来てからも、何杯も食べ続けた天下一品のこってりラーメン。
しかし、心の奥底では、違うんやなぁ、といつも思っていた。その頃訪問していた店では、唯一神田店だけはそれなりの特徴が見い出せた以外、どの店もホントに納得して食べていたわけではなかった。
あの味に代わるモノはなかったから、仕方がないと思ってもいた。
ソレが、ある日突然出会ってしまったのだ。
「天下一品 駒沢店」に。
2013年(平成25年)4月のとある日だった。
ウマい!…コレだ!
と思った瞬間から、何故だか、早く教えなきゃ、という感覚が同時に沸き起こった。
もちろん、東京の天一評価について同意見だった同郷人の何人かにスグ電話もした。
でも、ソレだけでは足りない。
その時の、僕の、のぼせ上った感情では、圧倒的に足りない気持ちが、支配していた。
で、ついつい、食べログというモノを使ってみたくなったのだ。
いろいろあったが、あれから5年が経った。
そろそろ、食べログとの付き合い方も反芻してみたくなった。
ソレが、この『賛否両論、否否暴論』のはじまりである。
京夏終空、2018.4.22