以下、令和4年2月17日(木)に、Facebookに記した記事を轉載して置きます――。
【金曜ドラマ「妻、小學生になる。」に於ける毎田暖乃さんの演戲に就いて】
石田ゆり子さん演ずる「妻」新島貴恵は、事故によつて亡くなり、貴恵は新島家のダイナモだつたがゆゑに、殘された夫である圭介と娘である麻衣は、長らく、魂が拔けたかのやうな暮しを送つてゐました。
その貴恵は、輪廻轉生によつて、小學生である白石万理華として暮らして十年が經過してゐましたが、とある日、新島家の近くをとほりかゝつた際、貴恵としての前世の記憶が甦り、其處から貴恵=万理華、圭介、麻衣と云ふ三人(四人?)による、時に樂しく、時に涙する生活が始まります。
毎田暖乃さんは、實際の彼女も十歳との事ですが、その年齡で「妻」を演ぜねばなりません。然も、しつかり者である「妻」を演ぜねばなりません。
私が十歳の時、詰り、小學四年生だつた時、何をしてゐただらう……と考へて了ひます。サッカー部員としてボールを蹴つてゐたり、後、ファミコンに夢中になつてゐました。そんな十歳の私が、夫を演ずるなんて事は、勿論、不可能です。
演ずるとは、臺詞や動作をなぞればいゝ訣ではないでせう。非常に抽象的な云ひ方ではありますが、説得力が伴ひ、視聽者を納得させねばなりません。いや、自然でなければなりません。「妻、小學生になる。」のばあひ、姿形は「小學生」であつても、心や動作は「妻」でなければなりません。万理華ではなく、貴恵として、自然でなければなりません。
そんなむつかしい演戲を、毎田暖乃さんと云ふ女優さんは、見事に達成してゐます。一説には、まづは石田ゆり子さんが、演じて見せて、それを毎田さんが眞似てゐるのでは……? と云ふ話もあります。が、上述しましたやうに、なぞるだけでは、説得力がなく、不自然でせう。小學生である女優さんが、「妻」を自然に演じてゐる、之は彼女が天才である證據だと私は思ひます。
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