『日本語を使ふ人間が日本人である』早稻田の文士さんの日記

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早稻田の文士 (40代後半・男性・広島県) 認証済

日記詳細

私はこの二十年以上のあひだ、文化に就いて、政治に就いて、學んで來ました。そして、さう云ふみづからの理解や認識をものにして來ると、みづからの心に於て、さう云ふ在り方が當然であると實感されて來ます。さすれば、まはりの知識の程度など、どうでもよく思へて來まして、自分で自分に就いてのみ、さう云ふものと安心して了ひます。

それに何より、私が善意で、何かを、誰かに教へようとしても、悉く無駄なのです。理解出來る人間になるには、理解しようとする意志が必要です。が、他人の意志なんざ、どうしやうもないし、私は誰かの先生でも、上司でもないのです。

然し、今の日本國に於て、憲法九條に就いては、少しは眞面な事を云へる大衆が出て來ましたが、國防がましになれば、それだけで日本は守られる訣ではありません。日本人が日本人であるのは、その人の國語が日本語であるからです。日本語が出來ない日本人抔と云ふ化け物は存在しません。が、その事を多くの日本人が認識してゐません。かう云ふ正統表記が好ましくない保守派なんてのもゐるやうでして(今は「保守」と云ふ言葉が逸りですから、誰もが保守派を名乘るのです)、漢字廢止論者や英語論者と組んで、正しい日本語を否定しようとさへしてゐないでせうか。

私は少しは英語が出來ますが、それがゆゑに母國語である日本語を大事に感じて、愛著を抱いてゐます。譬へ、安全保障が萬全でも、日本列島の人々が英語を使へば、支那語を使へば、日本語以外の言語を使へば、その人々は日本人ではないのです。

その大事を日本人が分つてをらず、これこそが日本と云ふ國家の危機なのです。私はこの大事を認識して、みづから行動はしてゐますが(かうして正字正假名で文章を綴るのが、私の「行動」の一つです)、誰かに教へたり、世直しをしようとは思へません。世間を解らせる事は不可能だからであり、私は絶望してゐます。一方で、ドン・キホーテに憧れてもゐる訣です。
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