『江戸期 四条派「野菜尽絵合かるた」考』淡々斎さんの日記

淡々斎好み

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淡々斎 (男性・東京都) 認証済

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2018年6月30日

「花茗荷」を入手。

先月求めた「太胡瓜」?と合わせて、2枚。

元々は、50組100枚のもの。
そのうち「50枚」が売り立てに出された。

カタログには、既に「39枚」と減っている形で掲載。
11枚の図像が無いのが悔やまれる

ましてや、もう50枚の図像、遊び方も気になるところだ。

貝合わせの様に、全く同一の柄であったのか?

「かるた」自体の状態は、良い。
画面に多少の沁み
角や裏にスレがあるものの、
折れ 破れ 絵の具の剥落は見受けられぬ。
「花茗荷」は、やや退色しているか?
素人としては、はっきりとわからない。

源氏物語絵巻の様に、
胡粉 岩絵具の厚塗りをしていなかったのが幸いしたのだろう。

さて、
江戸時代になって、栽培する野菜の品種が増加したと聞くが……

まず20番は「山葵」
日本の固有のものであろう。

幕末期?明治初頭?に滞在したイギリス人チェンバレンの記録「日本事物誌」には
「日本には、大根以外、見るべき野菜が無い。」と記されている。
1番に「大根」が登場しているのもわからないでもない。
(百人一首と違い、札に順番があるのかはわからない。)

聖天様にも供えられるモノであり、若冲の野菜涅槃図で「釈尊」の見立てに使われた野菜である。

他には
カンボジア経由でもたらされた「南瓜」
中南米原産の「玉蜀黍」
同じく、貧者の胡椒と言われた「唐辛子」

糸瓜
山芋
茄子
八頭?海老芋か?
夕顔
クワイ

絹さや
京都の「水菜」(コレは関東のモノとタイプが異なる。)
百合根
独活
芹?人参葉?三つ葉に似ているが違う。
筍(真竹というより孟宗竹にみえる)瓜

えんどう豆
里芋 衣被
伝助スイカ?
瓜の一種「桂瓜」?
ちょろぎ
生姜?
ササゲ?小豆?
牛蒡
蕗の薹
ほうれん草?

麦 粟 稗等の雑穀も描かれているようだが、私には識別出来ぬ。

もしかして、最後の一枚50番は「稲穂」で上り となるのだろうか?
欠損の11枚が気になる。

さて
驚いたのが19番
コレは「芥子坊主」ではあるまいか⁇

芥子の実は、「松風」の上にもふりかけてあったりするのだが……
江戸期の人々は、「野菜」と見なしていたのなら、驚きである。
仁清の茶壺 琳派の襖絵 屏風にも「芥子の花」は描かれているが、
「芥子坊主」のみを描いてあるのは初めて観た。

吉宗の頃には「甘藷」が広まったし
「小松菜」も、そろそろ栽培されている筈。

葱 蕪 椎茸 蕨が無いのは、
残りの11枚にあったのだろう………

人参 白菜 じゃがいもは、やはり「明治」という事なのだろうか?

もし「トマト」があったのなら
絵札は、もっと華やかであったろうがねーー

ふと思ったのだが、

レタスは戦後
それはわかる。

甘藍「キャベツ」が無かった江戸時代
モンシロチョウは、キャベツの代わりに「何」を食べていたのだろう。

モンシロチョウは、外来種では無い。
餌を乗り換えたとしたなら、相当なグルメと言えないか⁇


チェスも将棋も、インドの「チャツルアンガ」を祖としている。

「かるた」「百人一首」も「タロットカード」と同じところから来ている。
最初は、厚紙に手彩色

最古のタロット「ヴィスコンティ家のタロット」は、何処と無く「野菜尽絵合かるた」と似ている。
貴族 豪商の所持していたモノだからであろう。

佐竹本三十六歌仙では無いが
ヴィスコンティ家のタロット同様
こちらも散逸したのが悔やまれる。

「今一度の逢ふこともがな」
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