『恩師の旅立ち!』及第クレーマーさんの日記

松本城(令和6年4月27日)

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令和元年8月6日(火)

先生に3月6日(水)に下記メールを出しましたよ!

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今日は平成31年3月6日(水)です。 今なお先生は病室で、ご快癒に向け
病魔と闘ってらっしゃると思います。

昨日(3月5日)、先生の寝てらっしゃる枕元に伺いました。 目に涙をた
め私を必死に見てくださっていましたね。 歩こうとされているのか足
を少しばたつかせてらっしゃいました。 全身麻痺の状態で少しは感覚
の残っている左手で私と家内の手をしっかり握ってくださいましたね。
涙が止まりませんでしたよ。
明日カテーテル手術を受けられるという2月17日(日)の夜、奥様が帰ら
れた後に、なぜ脳梗塞を発症され意識不明になられたのか? 

12月上旬に蛍池でお会いした折、ウォーキング中に田んぼでよろけて
救急車で、この姫〇循〇器センターに運ばれたって仰しゃっていました
ね! その折の脳の検査で何の異常もなかったと仰いましたが --- 今だ
から言えることかもしれませんが、あれは"一過性脳虚血発作"ではな
かったかと思います。 さすれば、しっかりとした医者なら3ヶ月後の
脳梗塞は予測できたはずです。 どの医学専門書を読んでもそう記載さ
れております。 ましてやその折に心臓も検査をしておれば12月末に
高松で心筋梗塞発症という事態も防げたような気がいたします。 でも
それも先生流に言えば運命でしょうか?

このメールを近未来に、ご快癒された先生が読んでくださり笑い飛ばし
てくださることを切に祈っております。

それまでしばし病魔と闘って戦い抜いてください。

"この度のご快癒おめでとうございます。"と言える日まで首を長くして
お待ちしております。
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1月から月一回お見舞いに伺っておりましたが、7月中旬には左足のみで
したが上下に動かし無意識的にウォーキング的な行動をされてらっしゃ
ったのに --- 。 
しかるに8月6日先生の大嫌いな広島原爆の日に奥様を残して先生は旅立
たれましたね。  

知的所有権の世界的権威、川口博士(享年 88)に捧げる!  合掌!
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