Mr.ぴぃさんの日記一覧

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平素は格別なご高配を賜り深く御礼申し上げます。
早速ではございますが、このたび、一身上の都合により、本日を持ちまして、本サイトから退出する運びとなりました。

平成16年6月、「食べること」に特化したサイトに身を寄せ15年、気が付くとあっと云う間の出来事でした。その間、自身の「書く」と云う願望が、同じ店を同じ次元で男と女の視点で表現をしてみたら面白いだろうな、と今では小説やドラマで陳腐なぐらい当たり前に使われる設定ですが、其の欲が不注意に結びつき、今迄席があったサイトを移らざるを得なくなり、今に至りました。

読者や身内「いいね」は本当の処如何なんだろうと云う疑問が常にある身ですが、振り返って見ると、タニマチのような優しく温かい目で見守って頂ける読者に恵まれ、幸せな日々を過ごせたと思っています。

今までフランチャイズとしていた東京、北海道から離れ、全く別の地で隠遁生活を始めようと考えていたこともあり、一部の知り合いにお伝えしていましたが、15年と切りの良い今年中にサイトからの撤収をずっと検討しておりました。

日本国内に限定してと云うことになりますが、大きな災害が発生した時は一定の期間書くことを遠慮、辞退してきたこともあり、結果、目標としていた1000件には届きませんでした。
書くこと、特に新しい視点での取り組みに衰えが目立つようになったことは事実ですが、書き残しておきたかった店は数多くあり、出来ればひと癖ふた癖ある文章をない知恵を絞るだけ絞っていた最中ではありますが、限られた時間で仕上げることは難しいと判断し、一度、サイトを退くことを決めながら舞い戻ってきた過去がある身としては、あまり偉そうなことを云えませんが、昨今の状況を踏まえ、今が良い機会、潮時だろうと筆を置くことにしました。

最後になりましたが、皆さまのさらなるご活躍を心よりお祈り申し上げます。

綺麗に終わらなくちゃしまらないのですが、もうひとつだけ。
現状、大変な時期です。多くのレビュアーが行き付けの店に手厚く訪問し、そして、影響力のあるレビュアーほど、当面の間「書かない」と云う選択肢も必要な時期にあると考えています。
私のような泡沫、末端のレビュアーではなく、集客力を持つ、本当の意味で影響力のあるレビュアーの皆さんです。
書くことで不特定な客を集めるよりも、不特定ではなく、特定の客が自分が愛する店と良好な関係を築き、愛すべき店を無くさない努力を店と共に続け合う、そんなタイミングに今はあるのではないでしょうか。

わがまま放題、好き勝手にやらせていただきました。食べることは死ぬまで辞めません。
本当にありがとうございました。                    

ぴぃ拝

令和2年4月1日
SWA(すわっ):創作話芸アソシエーションSousaku Wagei Association
平成16年旗揚げ。メンバーは春風亭昇太、三遊亭白鳥、柳家喬太郎、林家彦いちの4人。途中、講談師の神田山陽が参加していたこともあるが、脱退。
新作落語を中心に活動を行い、落語ブームの一翼を担っていたことは事実だろう。平成23年解散。

昔は赤い衣裳だったが、今般、全面リニューアルされていた。
林家彦いち 背番号1
三遊亭白鳥 背番号2
春風亭昇太 背番号4
柳家喬太郎 背番号6

しかし、会場に訪れた大半の客はSWAをタイムリーで見たことがないということのようだ。

一応、平成23年解散時の写真も入れておきたい。

其のSWA(すわっ)が本日復活した。抽選を乗り越え、よみうりホールに馳せ参じる。
今後も継続して4人で活動を続けていくということだ。
面白かった。
門司だ。
関門海峡を隔て本州と対峙する交通上の要地。大化元年に文字の関が置かれ古代より発展したものの、明治迄の間、注目されることは殆ど見られなかった。
明治22年、築港会社が設立され、門司港は特別輸出港(米・麦・麦粉・石炭・硫黄に限定した輸出港)の指定を受けたことが契機となり、大きく発展を始める。
明治20年に創立された九州鉄道は明治22年に九州初の鉄道として博多-千歳川仮停車場間開業、明治24年に門司駅(現門司港駅)迄東進、海の玄関口と陸路が結び付くことになる。
地域的に筑豊炭田を控え、其の石炭の積出し港として、大陸貿易の基地として、貿易港の地位を築き、第二次世界大戦前は神戸、横浜、大阪に次ぐ全国第4位の貿易港となる。
貿易港、九州の玄関口として興隆を極めた門司だが、昭和17年に悲願でもあった関門鉄道トンネルが開通したため、門司港駅を経由せずに本州との行き来が可能になったこと、戦後中国との貿易衰退により、急速に其の地位を失うことになる。
昭和63年、門司港駅舎が国の重要文化財に指定されたことを契機に地区内に残る歴史的建造物を生かした観光地としての整備を行い、平成7年に門司港レトロとしてグランドオープンする。

旧大阪商船門司支店(国の登録有形文化財、現在、門司港ブランド雑貨店、わたせせいぞうと海のギャラリー等が入る)、北九州市旧門司三井倶楽部(国の重要文化財・門司区谷町より駅前へ移築、アインシュタインメモリアルルーム・林芙美子資料室等が入る)、北九州市旧門司税関、旧三井物産門司支店、門司郵船ビル(旧日本郵船門司支店)等、大正時代を中心とした建造物が多く残っている。なお、北九州市大連友好記念館は北九州市により整備された歴史的建造物の複製建築物である。

門司港レトロ地区には日本唯一の歩行者専用のはね橋がある。全長108㍍で、船が通る時は約24㍍の親橋と、約14㍍の子橋が水面と60度の角度に跳ね上がる。平成5年10月に開通したが、周辺の景観にも融け合っており、単純に見ていて飽きない場所である。

前回訪問は平成25年10月。
門司港駅がリニューアルしたことの他、門司港駅付近にあった旅館群芳閣の入り口横に建てられていたバナナの叩き売り発祥地の碑は平成26年2月に旅館が解体されたことを受け門司港駅前広場に移転、昨年60周年を迎えた関門トンネルの人道県境表示が変更等、時間の経過と共に変化が見られた。
今回はスケジュールの都合上、訪問が出来なかったが、前回訪問時に九州鉄道記念館はみっちりと見学した(笑)



《北九州市旧門司三井倶楽部》
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158465/
《平成25年10月》
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158464/
《和布刈神社》
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158463/
《関門トンネル(国道2号) 人道》
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158462/
《下関》
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158461/
世界遺産に登録される前年、平成28年師走に宗像大社に訪問した。沖ノ島にある沖津宮は毎年5月27日に行われる現地大祭以外は上陸を基本的に認められず、勿論、未訪の地だ。
訪問は先に筑前大島に渡り、中津宮に行き、其の後に沖津宮遙拝所、宗像市に戻り、辺津宮(総社)と云う順番だ。
丁度、日誌を中断していた頃の訪問に当たる。筑前國の延喜式神名帳社の代表的な神社であるので、写真ぐらいは載せておきたい。

宗像大社   宗像市大島沖之島(沖津宮)福岡県宗像市大島(中津宮)福岡県宗像市田島(辺津宮)
創建  天孫降臨以前
式内社 旧官幣大社 別表神社
御祭神 田心姫神(沖津宮)湍津姫神(中津宮)市杵島姫神(辺津宮)
神紋  楢
枝宮  120を超える末社が鎮まっている。
御鎰持 伊摩 酒井 池田若宮 飯盛小盛 温濟殿 白鬚 牧口 年毛 濱宮 西搭田若宮 池浦山王 久米 若八幡 織幡 飯豊 御霊 祓方 葦木 山手 波寄 祇園 縫殿 内浦若宮 酒田 伊久志 示現 熊野 千得下符 北埼四所 須田 地主 厳島 下高宮 照日 妙見 荒熊 山部 御竃 山師 君達 稻庭上 宮地嶽 興里嶽 吹浦 土穴若宮 森 藤宮 岡堺 楯嵜 上高宮 上袴 山下 伊邪那岐 伊邪那美 住吉三神 政所 朝拝 風隼 息送 九日 息正三位 矢房 風降天 大都加 宇生 指来 宮田若宮 宰貴若宮 許斐 辻原若宮 十所王子 本木若宮 浪折 年津久 大井 飯盛 和歌 国玉 国連 荒 渡津 柳牟田 蛭田若宮 人見 孔大寺 所主 龍主 止々 年所 祝詞 和加 山口若宮 勝浦 年津兩上 酒多 前戸 正三位 草上 四道 稗和 御船漕 天宮金宮 津加計志 四道福松 祓方遠賀堺 山口御口代 須多田 加津浦 貴船 犬王丸 四道 小野井 息直 原比女 大神 河上 五位 只下 御衣代 津田

【ご参考】
辺津宮②
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158459/
辺津宮③
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158458/
辺津宮 枝宮①
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158457/
辺津宮 枝宮②
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158456/
中津宮①
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158455/
中津宮②
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158454/
沖津宮遙拝所
https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158453/
竈門神社   太宰府市内山
創建  天武天皇2年
式内社 旧官幣小社 別表神社
御祭神 玉依姫神  相殿 神功皇后 応神天皇
神紋  山桜
枝宮  五穀神社 須佐神社 愛嶽神社 北谷竃門神社 式部稲荷神社 夢想権之助社

本殿流造銅板葺。
枝宮に見える夢想権之助は神道夢想流杖術の流祖。口伝によると、名字は山本、諱は勝吉。夢想権之助は宮本武蔵に敗れたとされているが、当流の口伝では、後日に権之助が宝満山の竈門神社で祈願し杖術の研究を重ね、再び武蔵と立ち会った後、武蔵を破り、其の後に流派を開いたと伝えている。
最近では竈門神社は縁結びで知られており、「恋守りむすびの糸」等、最近の女子受けする授与品が多く見受けられる。
一般的な参拝は外宮止まりとなるが、宝満山山頂には上宮も存す。中腹に中宮があったが、
今は跡地のみ。明治の廃佛毀釈の際、講堂・神樂堂・鐘楼等があった中宮付近は完全に破壊されたためである。境内には南北七間・東西四間の礎石建物跡があり、当地からは8世紀から12世紀の古瓦が出土されている状況を鑑みると、竈門山廃寺の中枢施設と考えられている。
太宰府の鬼門封じが元々の神祭の始まりで、天智天皇3年に水城を築かれ、大宰府を現在の都府楼跡の位置に移した時、宝満山が大宰府東北方に当たることに由来する。
序でながら、宝満山は国の史跡に指定されている。
筑紫神社   筑紫野市原田
創建  創祀年代不詳
式内社 旧県社
御祭神 筑紫大明神(白日別神・五十猛尊)
配祀  宝満大神(玉依姫命)田村大神(坂上田村麿)
神紋  隅立四つ目
枝宮  五所神社(須佐之男命、櫛名田姫、菅原道真公、伊耶那岐大神、少名彦名命) 稲荷神社 厳島神社 高産霊神社 猿田彦神社 若宮神社 葉山神社 金刀比羅神社 宮地嶽神社

本殿流造銅板葺。
享徳2年に社殿が造営されたと記録にあるが、其れ以前については詳細不明。
筑紫氏は応仁・文明の頃筑紫村を去り、勝尾城(現鳥栖市)に移居し武威を振るっていたが、島津氏の手により落城、神領は没収、神宝や古文書類も兵火により焼失したことに由来する。
寛文2年に荒廃した社殿を再建、延宝8年火災で焼失。古い石の鳥居は元禄12年建立。
現在の本殿は貝原益軒の愁訴により、正徳2年黒田藩主から資材を賜り再建されたもの。
筑紫神社粥占行事及び粥鉢一口は市無形民俗文化財に指定。太宰府天満宮楼門前にある銅製神牛を作成した山鹿儀平藤原包賢作とされる粥鉢の銘文により、文化2年には行事が行われていたことが推察される。


https://tabelog.com/rvwr/pii/diarydtl/158450/
大己貴神社   朝倉郡筑前町弥永
創建  仲哀天皇9年
式内社 旧県社
御祭神 大己貴命 天照皇大神 春日大神
神紋  三つ巴※ 十六菊  ※拝殿、石柱に左右あり、どちらともわからない様子
枝宮  須賀神社 八幡宮

建物面積:94.45平方メートル
江戸時代末期から明治初期頃の建造物で、原形は八幡造と推定される。
2棟の切妻造、平入りの建物が前後に接続した形で形成される。其の一方で、建物の中間に石の間をおき、前面の建物は拝殿、後ろの建物が神座となっている。拝殿の唐破風の向拝がつく。
本殿左の拝所、神体山大神山を拝する。




延喜式神名帳は延長5年に纏められた延喜式巻九、十のことで、官社に指定されていた全国にあった神社一覧に当たる。
延喜式神名帳に記載された神社を延喜式内社、亦は式内社、式社と云い、社格を表すときに使用される。詰まりは、式内社は確実に1000年以上前から存在し、後継も含め、現存している神社であれば、其の神社は現在まで1000年以上にわたって存在する神社のことと考えて貰えれば良いだろう。

往時の筑前国について、延喜式神名帳には下記の通り記載されている。

筑前國十九座  大十六座 小三座
宗像郡四座  並大
宗像神社三座  並名神大 織幡神社  名神大
那珂郡四座  並大
八幡大菩薩筥崎宮一座  大 住吉神社三座  名神大
糟屋郡三座  並大
志加海神社三座  並名神大
怡土郡一座  小
志登神社
御笠郡二座  並大
筑紫神社  名神大 竈門神社  名神大
上座郡一座  小
麻弖良布神社
下座郡三座  並大
美奈宜神社三座  並名神大
夜湏郡一座  小
於保奈牟智神社
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