筑紫神社 筑紫野市原田
創建 創祀年代不詳
式内社 旧県社
御祭神 筑紫大明神(白日別神・五十猛尊)
配祀 宝満大神(玉依姫命)田村大神(坂上田村麿)
神紋 隅立四つ目
枝宮 五所神社(須佐之男命、櫛名田姫、菅原道真公、伊耶那岐大神、少名彦名命) 稲荷神社 厳島神社 高産霊神社 猿田彦神社 若宮神社 葉山神社 金刀比羅神社 宮地嶽神社
本殿流造銅板葺。
享徳2年に社殿が造営されたと記録にあるが、其れ以前については詳細不明。
筑紫氏は応仁・文明の頃筑紫村を去り、勝尾城(現鳥栖市)に移居し武威を振るっていたが、島津氏の手により落城、神領は没収、神宝や古文書類も兵火により焼失したことに由来する。
寛文2年に荒廃した社殿を再建、延宝8年火災で焼失。古い石の鳥居は元禄12年建立。
現在の本殿は貝原益軒の愁訴により、正徳2年黒田藩主から資材を賜り再建されたもの。
筑紫神社粥占行事及び粥鉢一口は市無形民俗文化財に指定。太宰府天満宮楼門前にある銅製神牛を作成した山鹿儀平藤原包賢作とされる粥鉢の銘文により、文化2年には行事が行われていたことが推察される。
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