6回
2021/02 訪問
いつも通りにこにこ腹がへったからとら食堂
ご存知の方もたくさんいらっしゃるだろうが、私は自◯党およびそこに所属している政治屋どもが大嫌いだ。もちろん、かつて立花隆が名づけた「巨悪」が跳梁跋扈していた時代に比べれば大人しいもの、というか小物ばかりなので大した事はないが、昔の「巨悪」どもと違って、矮小というか陰険というか、根源的な爽やかさに欠けるというか。どうにも気分が悪くて仕方がない。あれをみよ、これをみよ。細かくは言わないが、世の中が良い方向に進んでいるとはとても思えない。長く続けさせるという事がいかに悪い事なのか。ここはみながみな真面目に考える時であろう。
とかなんとか言いながら
私はかつて◯民党の一員であった事があるはずだ。「はずだ」というのは若いころ、幾人ものかの政党所属の政治家どもの後援会に入り、選挙事務所に入り浸り、メシを喰らい当選したといってはニコニコ万歳三唱となえという、はなはだ調子のよい時代を経た経験があるからだ。おそらく当時は絶対に党員にさせられていたと思う。東京有数の保守地盤に住み、そこの建設会社にいたとなればある程度以上のおつきあいは仕方がない。私の節操のなさはこの時に醸成されたものであろう。
ある信仰宗教にも入会しているはずだ。はずだ、というのはかの団体で熱心に活動していた親友の、あまりにもうるさい勧誘に根を上げて、
「もう誘わんでくれ、その代わりオレの名前は好きに使ってくれていいから」
と、言い渡しているからだ。あいつは絶対に約束は守る男だからお誘いも絶えたが、名簿のどこかに私の名があるはずだ。
やはりしっくりくるのは天理教だ。
単にわが家が信仰していただけ、親戚もいる。出向けばみな知っている(大半は死んじゃったけど)、子供のころからつきあいが深かっただけで、何十年も教会にいっていないし、現在ではお手振りも忘れ果ててしまった罰当たりものではあるが、見知っているだけあって親しみ深いものだ。
天理教といえば「陽気暮らし」。にこにこ歌って踊るのだ。先に「お手振り」といったが、歌いながら手だけの踊りを神様に幾種類か朝昼晩ご奉納。あとは月に一度、決まった日にメイン14ステージをご奉納するという段取りだ。後年になってクリスチャンの集会に何度か出席する機会があったのだが、踊りはしないが、歌と言葉で神を寿ぐという共通点があったので、あまり違和感がなかった。
「とら食堂」
腹がへったらとら食堂に腹がへったから向かうのだ。昨年5月以来にお邪魔する。こちらは美味いしおかわり自由だし店のひとはみなにこにこしているし。よい事づくめだから余計と距離を置きたくなる。だって毎日通いたくなるではないか。さぁにこにこしながら美味い焼肉を喰らうぜ。
「焼肉定食 超大盛」1350円
“季節のフルーツや、野菜をふんだんに使いマスターが1日がかりで作っているのでマスターの愛情もだっぷり(笑)一番気になる、あの濃厚な味は一定期間ねかせて熟成し、焼肉を炒める時に、お酒やマヨネーズなどが入りいつもの味になるのです。”
とメニューに記載されていた。こちらに通い出して10年以上経過したが、初めてメニュー表を仔細に眺めたという情けない事態。それほど焼肉定食一択が続いている証拠だ。
ぷりっぷりの豚肉にたっぷたぷのタレ。このコンビネーションが素晴らしい。キャベツをダイブさせて食べるのは当然だが、今回は初の試み、ご飯に染み込ませて頂こう。あああああああ美味い。強烈なにんにくが快感だ。まったりとした味わいはマヨネーズであろう。そして肉が柔らかい、メシが止まらない。おかわり自由で最高記録が13杯と更新されたようだが私には無理だ。あああ美味い快感だ。
だからというわけではないが、腹の中ではいろいろあってもやはり人前ではにこにこしていなければならない。それでこそ人の生活というものだ。
2021/03/03 更新
2020/05 訪問
とら食堂と大喰らい
かつてわが家は大喰らいの家系であった。
いやいやいやいや、「かつて」などとはご謙遜を。「現在」もなお「現役」の「大大喰らい」の間違いですよね?という声も聞こえてくるがさにあらず。無論のこと、現在でもたいがいな大喰らいである事は認めよう。しかし「かつて」ほどイノセントに食べまくる事が出来ない立場なのだ。健康上の問題もある。いつまでも若くはないのだ、自重・がまんの人生はまだまだ続くのだ。
話を戻そう。
わが生家は大喰らいなのだ。父は亡くなる数年前、だから70歳代半ばまで朝から丼メシをおかわりしていた。母親は現在80半ばで糖尿だの心臓病だの様々な疾病を抱えていながら、三度々々の食事は欠かさず、丼メシとはいかないがしっかり一人前を平らげている。3人の息子どもの現在はあえて記さない(というか兄ふたりの状況など知らないし)が、かつてはよく食べた食べた。
そもそも弁当用に一升、朝食用に一升米を炊いていたというのだ。夕食は焼肉だ、となれば1人あたり1Kgの肉を用意したのだとか。もはや一般家庭のレベルではなく、ほぼほぼ相撲部屋といった風情である。いやはや情けない。準戦災孤児(自称)であった父親と、孤児ではなかったが超貧乏欠損家庭育ちの母親の体験した悲惨な戦後体験。…子どもたちに食べ物のない辛い生活だけはさせたくない。という暖かな親心に支えられての事だが、食べすぎには間違いない。
だから
どんどん食べて、おかわりはどう?お腹すいてるでしょ?さぁどうぞ。などと優しく言われると、いや優しく言われずとも嬉しくて涙が出てくる。右のまなこと左のまなこから流れる涙をとめる手立てなどあるわけもない。
「とら食堂」
須坂市相之島、小布施街道沿いにある定食屋さんは、昨年は水害を被り、今年に入ってからはコロナ禍と大変な苦難があったが、そんなトラブルなどなんのその。ご主人からスタッフの皆さんすべてのニコニコ顔で今日もたくさんのお客様がみえられていた。1人で入店したと言ったら座敷のテーブル席に通される。「相席でいいよ」と言ったのだが、何かあってもいけないからお一人で。とニコニコ返されては何かを言えるはずもない。
「焼肉定食 超大盛」1350円
こちらに通い始めてからずいぶん経つが、ほとんどこれしか注文したことがない。とんかつが1、煮込みが1といった程度だろう。それだけ焼肉の完成度が高いということだ。様々な具材とマヨネーズをグイイっとねじ込んだ(という表現が妥当)秘伝のタレは、皿の縁めいっぱいに注ぎ込まれている。たぷんたぷんと音がするような有様だ。そこには脂身たっぷり、ぷりっぷりの豚肉が200g。メニューには2人前と記載されているが、そんなことは気にもならない。私は大喰らいなのだ。そして何より、醤油とニンニクがぷんぷんと香るタレに絡ませて食べる千切りキャベツ。これが楽しみで通っているようなものだ。美味い美味い美味い。こちらはご飯、みそ汁、キャベツがおかわり自由なのだ。さすがにご飯はやめておくが、熱いみそ汁とキャベツを2回ずつおかわりしてしまう。本当はタレをご飯にかけて品悪くすすり込みたいのだが、そうでなくとも品行正しい方ではないのだ。やめておこう。
食べている間、何度も何度もおかわりを尋ねられるが、みそ汁とキャベツ以外はお断りする。非常に心苦しいのだが、いつまでも若くはないのだ。
2020/06/02 更新
2019/09 訪問
タルコフスキーと焼肉定食
アンドレイ・タルコフスキーというロシア人の映画監督がいた。ロシアといったが1986年に亡くなっているので、ほとんど旧 ソ連時代に活動された方である。「映像の詩人」と呼ばれるほどクリアな画像と厳密に構築された映像美で知られた作家だ。
「僕の村は戦場だった(1962)」「惑星ソラリス(1972)」「鏡(1975)」といった叙情的で感覚的、難解な作品群に初めて接したのは高校時代だった。カメラがパンする間に時空が錯綜するなど、そのあまりにもブッとんだ内容に、大脳が破裂しそうな想いをしたものだ。
昨年、街の映画館で「ストーカー(1979)」がかかっているのを知って、恐る恐る観に行った。30年前、やはりノックアウトされた作品だが、意外とわかりやすかった。ソ連の行き過ぎた社会主義体制と、そこを生きる人々を戯画化したものだったのだ。すべてがわかっていながら何もしない、何も出来ないインテリたちと、複雑・不条理な官僚社会を生き抜いていく庶民たちを描き切った作品だった。べつに読解力が上がったわけではない。人生経験が理解させてくれた、ということだ。
タルコフスキー作品の特徴は、その独特な象徴性にある。とくに水をモチーフとした清冷な画面づくりが素晴らしい。…のだが、時として難解というか、意味不明な場面が頻出するのだ。登場人物が何の前触れも、説明もなしに水の中に入り込んだり、水たまりのすぐ脇に寝そべったり。もしかしたら、キリスト教の受洗を意味しているのかもしれないが、よくわからないこちらとしては、服が濡れて気持ち悪くないのか、あんな水辺に寝て砂だらけにならないのか。と、妙な心配をしてしまう。
「とら食堂」
小布施街道沿にある、世界一気持ちのよい食堂だ。8ヶ月ぶりにお邪魔する。こちらで名物焼肉定食、そのタレにジャブんとキャベツを浸した時にタルコフスキーを思い出した私は、変態以外の何者でもない。
「焼肉定食 超大盛」1300円
たぷたぷのタレに浮かぶ豚肉群と、大量のにんにくたち。午後に打ち合わせのないタイミングでしか食べられない。柔らかく仕上がった肉をご飯とともに口中へ放り込む幸福感。そして、この美味いうまいタレに千切りキャベツを浸すと、美味さが倍加、いや十数倍は美味くなってしまう。
タルコフスキーは知名度の割に作品が少なく、全部で8作が残されている。あまりにもアーティスティックかつストイックな姿勢が製作にブレーキをかけたのと、54歳という若さで亡くなったのが原因である。あと10年長生きしたら、と考えれば考えるほど悲しくなる。未見作は残りふたつ。なんとか劇場で観る機会はないかと思案中だ。
2019/09/11 更新
2019/01 訪問
腹がへったからとら食堂
よそ様から
「心地よい事とは何か?」
と問われたら間違いなく
「ニコニコと接してもらう事」
と、答えるであろう。無表情だったり、無愛想にされれば誰しも気分がよいわけはない、ランチも一層美味く感じようというものだ。そういう点から、こちらなど世界一といえるほどの愛想よし。宇宙一美味い店であると断言しよう。
小布施街道沿いの、今にもぶっ倒れそうな店舗である。入るなり
「いらっしゃいませ〜ニコニコ」
とスタッフ、いや店員全員がニコニコを振りまいている。
「うちはご飯、味噌汁、キャベツおかわり自由ですよ〜ニコニコ」
こちらを知ってから10年以上経過するが、接し方にまったく変化はない。むしろニコニコが増幅しているのではないか。ここまでされれば気分も違う、よりお腹が空いてしまうというものだ。これは私だけではなく、他の皆さんも同じのようでいつも満員御礼である。
「焼肉定食 超大盛」1300円
そんなわけで、こちらは何を食べても美味いと断言するが、ベスト1はこれである。ひたひたと茶のタレに浮かぶ豚ばら肉の群れ。並100g、大150g、超大200gというラインナップであるが、大喰らいな私はもちろん「超大盛」一択である。
ぷりぷりの豚はこだわりの長野県産である。そこにこのタレが素晴らしい。生姜焼きっぽくみえるが、醤油、みりん、酒、ニンニクなどでスタンダードな構成だが、そこにマヨネーズの大量注入により独特なまったりとした味わいが現出するのだ。これと千切りキャベツ相性が抜群なのである。私の場合、キャベツ、味噌汁のおかわりに専念する。美味い。ニコニコ顔と相まって幸せ満点なランチとなる。
2019/01/10 更新
2018/03 訪問
腹がへったら”とら食堂"
【お店のデータ】
とら食堂
場所 長野県須坂市大字相之島539
電話 026-245-8100
営業時間 11:00〜20:00
定休日 月曜日
駐車場 あり
先ごろカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した、是枝裕和が2015年に製作した作品「海街diary」を観た。鎌倉に住む、歳の離れた4人姉妹の日常を淡々と悠々と描いた佳作だ。
4人の暮らしがたっぷりと描写、…というより映画そのものが、彼女たちの暮らしの中にあるのだ。かしましく、などという可愛らしいレベルではないほどの騒がしさ。間段のないおしゃべりと共に食事をとり、服を選び、ケンカをし、酒をのみ、いたわりあう様が面白くてならない。女だらけの暮らしってこんな感じなんだ。と、男三兄弟の末っ子は深く感じ入る。
「男ばかり産んでしまって面白くない」
と母親は嘆いた。4姉妹+長男1という、「海街diary」以上の場に育った母にとって、まさかこんなむさ苦しい家庭を作り上げてしまうとは、まったく想定外であったようだ。
でかくて重くてくさい洗濯物、ケンカは一度始まると物は壊れそこいら中がめちゃめちゃとなり果てる。おしゃべりではあるが、女性と違い「間段なくしゃべる」ということがない、割と静かな茶の間など、思ってもみない状況であったのだから。しかもそれが、すべて自分が生み出したもの、自分の責任なのだから余計と面白くなかったのかもしれない。
中でも、もっとも面白くなかったというのは食事の場だったとか。たしかに、一人当たり肉を2キロずつ平らげたり、朝食用に一升、弁当用に一升ご飯炊かなければならない状況は、彼女からすれば無残としか表現しようがなかったかもしれない。
それ以上に腹が立ったのはその光景。肉2キロ食べようと、どんぶり飯三杯喰らおうと仕方ない、我慢しよう。問題は、おかわりする際に
「んッ」
とだけ言って差し出すこと。
「せめて『おかわり』くらい言いやがれ!」
と、叱られた小学3年夏休みを現在でも鮮明に覚えている。
須坂市相之島、小布施街道添いにある「とら食堂」はまさしく「オアシス」であると思う。わが家と比較して、ということだが、ご飯、みそ汁、キャベツ食べ放題という豪快かつ太っ腹なお店で、「んッ」とどんぶりを差し出しても怒られないところが何よりもよい。
いやまぁキチンとした飲食店であるし、こちらも「んッ」なんて無礼なことはしないが、ご主人以下全員がいつもニコニコ。「いらっしゃいませ」「おかわりいかがですか?」と気配りを怠らない、その笑顔こそ「オアシス」と感じる次第だ。本日も、いつも通りのニコニコの中で、いつも通りのメニューを注文することとなる。
「焼肉定食 超大盛」
特製のタレと最後にどっかりと投入されるマヨネーズによって、まったりと仕上げられている。ぷりぷりの豚バラ肉がたまらない。タレにからめていただく千切りキャベツほど美味いものはない。
「ご飯おかわり記録」
なるものが店内に掲示されている。いつぞや最高で20杯と聞いたが、その後更新されたであろうか。この貼り紙を見るたびに、母のあの日の怒鳴り声がどこからか聞こえてくるような気がする。
#腹がへったらとら食堂 #焼肉定食 #ごはん #キャベツ #みそ汁 #おかわり自由
http://araralunch.work/
2018/06/02 更新
ギリシャ・エジプトの神話に登場する
怪物スフィンクスは人間を「朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足」と表現していたが、これはあくまでも形態、行動を表しただけのことであり、実際にはずいぶんと違ったあり様が展開される。そもそもわが娘はハイハイをせずにいきなり二本足で立ち上がったし、老人だからといって必ずしも杖をついて歩くわけでもない。
外観が
そんな風だから、内面的なこととなるともっと話は複雑になる。子どもは未熟、大人は成熟とは分類し難いものがある。やけに老成した落ち着きのある若者がいる反面、私のようにふらふらした50オヤジもいる。嗚呼、人間とはかくも複雑怪奇な存在なのだ。
複雑といえば
年齢を重ねれば重ねるほど、成熟すればするほど元に戻る、すなわち子どもに返ってしまう。という事もある。これはまことに面白い。私の母親など今年で85となり、まだしゃきしゃきとひとり優雅な暮らしをしているが、思いつくと居てもたってもいられない。すぐに私のところに電話をしてきて、「あれを食べたいから送れ」と指示がくる。
だいたい
今の世の中、どこにだってないものはない。そもそもアンタは東京に住んでいるのだし、カネだって潤沢ではないが、ゼロでもないのだから近くで買ってくりゃいいじゃないか。などといくら言ってもきくものではない。まったく子どもどころか赤ん坊ではないか。あーはいはい、今回は何をお送りさせていただければよろしいのでしょうか。
マダムは葡萄をご所望
だそうな。それも紫色の葡萄がよいとのことだ。シャインマスカットだの長野パープルだのといった新品種はご存知ないようだから、そこらのスーパーでデラウェアか干し葡萄を買って送ってやろかとも思ったが、それは意地悪というものであろう。
そんなわけで
小布施のハイウェイオアシスまで。こちらは韓国客相手に露天で季節の野菜や果物を売っている。春の山菜、夏野菜、秋の栗に葡萄といった塩梅。価格は普通だが、地方発送もしてくれるので便利だから重宝使いさせてもらっている。
といっても
葡萄は盛りをややすぎてしまったようで、数も品種も少なく、りんごや梨に置き換わりつつある。年寄り1人だから、巨峰の大きめなものをひとつ取り上げて、これを東京に送ってくれと言ったらダメなのだという。なんだ、融通がきかねーなぁ。致し方なく、発送用の箱入りの一番安く小さなものを手配する。ああ、これシャインマスカットじゃないか。高いなぁ
サイフの中も
軽くなったが、お腹の中も同様なのだ。腹がへったメシだメシだ。そのまま小布施街道を須坂方面へと走らせると、あの店が見えてくる。そうだ!ここなのだ!腹がへったからここに行くのだ。
「とら食堂」
腹がへったらとら食堂。ここにもずいぶんと通い詰めている。味よしボリュームよしそしてニコニコよし。こちらほど接客が素晴らしい店はあまりみたことがない。そして注文するのはこちら、というよりもこれしか頼んだことがないぞ。
「焼肉定食 超大盛」1350円
脂身たっぷりのみゆきポークをたっぷり200g。醤油と酒とあれやこれやを入れた生姜焼き風ではあるが、味の決め手はマヨネーズ。ぐにゅぐにゅと大量に投入されるから、まったりネットリと舌にまとわりついて美味いのなんの。
このタレが絶品なのだ
みゆきポークとからめ、キャベツとからめそしてご飯の上にじゃぶじゃぶとかけ回しまくる。絶対的に身体に悪いと、アタマでは理解できるが感情が許さない。これを食べねば漢がスタる。男一匹ガキ大将よどこへ行く。こちらがよいのはご飯、味噌汁、キャベツがおかわり自由なこと。といってもご飯をおかわりすると動けなくなってしまうので、味噌汁とキャベツのみにするのが常だ。
熱い熱い味噌汁は乾燥具材を使っているのがまる分かりなのだが、これがよいのだ。おかわりキャベツをタレに投入して、ぐしゃぐしゃとまとわりつかせ、ご飯にダイブ。たれとキャベツとご飯が渾然一体となって美味いのなんの。え?ご飯おわかりいかがですか?うーーーーーーむ、はい半分だけください。あ、キャベツもお願いします。
壁面には
ご飯おかわり記録が記載された紙が掲示されている。3杯達成者から名前が出るのだ。まったくいい歳してなにをやっているのか。あああああ何年か前にオレの名前も出ていたのだっけ。あのときは4杯食べて動けなくなったのだよな。
最後のタレを
ご飯に掛け回し、サラサラいただいてフルタイム。もう腹いっぱいで動けない、ご飯のおかわりは一度だけだったがもうダメだ。ここでお仕舞い。昔はここからが勝負と思いまだチャレンジしたものだが、もう若くはないなぁ。とはいえ80過ぎたらまたやってしまいたくなるのかな。30年後が楽しみだ。