3回
2018/04 訪問
現状、都内の蕎麦屋ではトップクラスの一軒
2年半以上もご無沙汰してしまった。
最近は混んでいることも想定されるので、13時過ぎの時刻を選ぶ。
高架橋になっている東十条駅前の向かいの階段を下りて、ものの1.2分で到着。
入店すると他の客の姿は無く、やや拍子抜けだがゆっくり出来そうなのは有難い。
'どこでもどうぞ'という女将さんの声に、2人掛けのテーブルを選ぶ。
今回は「ヱビスの中生」で始める。
お通しには「じゃこおろし」が出されたが、おろしは辛味大根なのでピシッとした味わいが好ましい。
肴には色々と試したかったので「おまかせ酒肴」を注文。
少し時間がかかったが、運ばれた大きめの角皿の景色に目を見張る。
11品が盛り合されており、内容は「鴨ロース炙り・味噌豆・チーズのかえし漬け・北寄貝と烏賊のマヨネーズ和え・蒟蒻と小女子の旨煮・生クラゲの梅しそ和え・昆布と海苔の土佐煮・玉子焼き・ポテトサラダ・もずく酢・ぬか漬け3種」という、バラエティに富んだ品々。
いずれにも丁寧な仕事が施されている。
特に印象に残ったのは、分厚くカットされた2切れの鴨ロースで、噛み応え十分で旨味は濃く、添えられたわさび菜のお浸しも美味い。
北寄貝や生クラゲのコリコリの食感、ひと手間掛けられたポテサラや、蒟蒻やぬか漬けのしみじみとした味わいも良好。
「志ま平」の'盛り合わせ'を思わせるが、個々のポーションが大きく食べ応えがある点では勝っており、これで1,800円は安い。
酒には「〆張鶴」を選択。
一品ごと丹念に味わいながらの「蕎麦前」を、ゆっくりと楽しむ。
肴の充実度からして酒1合ではとても足りないのだが、この日は後の予定が有るので追加は止める。
蕎麦の注文については大いに迷う。
こちらでは産地や品種の違いで常時数種類が打たれ、さらに'手碾き'もあり、それらを組み合わせて品書きはやや複雑になっている。
今回は「手刈り天日干しの手碾き」は無いとのことで、こちらも'限定'が付されている「手碾きせいろ」を選択。
笊盛りで登場した蕎麦は、やや粒々感のある粗目の碾きだが、綺麗につながり麺線は整っている。
今回は宮崎の「高千穂産」とのこと。
以前から述べているが、こちらでは氷水でキンキンに冷やされていないので、その分香りが立っており、蕎麦自体の甘みも存分に感じられる。
だからと言って決して食感が悪いわけでなく、歯ごたえと言いのど越しと言い、何れにも秀でた見事な蕎麦である。
一方のつゆも、出汁が上品に香り'かえし'とのバランスもとれた、江戸前伝統の仕上がりである。
最近は蕎麦にまで塩を振って悦に入る輩が居るが、昔から鰹節も醤油もふんだんに使えた江戸前の仕事では'蕎麦とつゆは車の両輪'であり、こちらでもその姿勢は貫かれている。
今回は私が時々やることだが、つゆに蕎麦を直接浸さずに'麺だけを啜ってはその後に少量のつゆを口に含む'というスタイルで、最後まで食べ進めた。
先に麺の香りと食感を味わい、追いかけてつゆの旨味を愛でるという手法で、これにより両者の良さが一層楽しめた。
盛りはかなり多く、薬味には本山葵と辛味大根のおろしが付き、1,100円という価格は良心的である。
蕎麦湯は多少の粘度を感じさせるが、主張しすぎてはいない。
あくまでも蕎麦湯は'つゆを割ってそれを美味く飲ませるための手段'と言うのが本筋であり、決して出しゃばってはならないもの。
たっぷりと注いで、味の余韻に浸る。
充実の'蕎麦前'に加えて相変わらずの蕎麦の出来栄えに、大満足の「蕎麦屋酒」となった。
改めてご主人は蕎麦職人としても、料理人としても卓越の技を持った'匠'であることを確認。
現在の時点で、都内の蕎麦屋ではトップクラスの一軒と言える。
こちらはミシュランガイドのビブグルマンにも選出されている。
あれに載っている蕎麦屋では「?」が付く処も何軒かあるが、こちらについては蓋し納得できる。
2018/04/26 更新
2015/09 訪問
快適な「蕎麦屋酒」が楽しめる店
新興店の中では、定期的に足を運びたい一軒。
最近は人気が高まり混んでいることも予想されるため、敢えて天気の悪い平日の昼、用事のついでにちょっと遠回りして、口開け直後の12時少し前に到着。
案の定一番客であったが、愛想の良い女将さんに迎えられて、2年半も間が空いたとは思えぬほど、すんなりと打ち解けた気分になる。
豊富な酒のラインナップから、今回は「墨廼江」を選択。
お通しには自家製の「ぬか漬け3種」の小皿が付いた。
肴には「酒肴三点盛り」を注文。
内容は「浸し豆をあしらった玉子焼き・鴨ロース煮・湯葉のせの豆腐」で、いずれも丁寧な仕事で、味もバラエティに富んでいる。
これらで暫し蕎麦前を楽しむ。
蕎麦は産地や品種、配合を変えて、常に3.4種類が用意されている。
それらを組み合わせたものから、今回は「温かけ味くらべ」という、「せいろ2種」と「かけ」が少量ずつ味わえるセットを選ぶ。
「せいろ」の1つ目は「妙高の在来種」、2つ目は「北海道の新得で、品種は牡丹」とのこと。
ともに見事な出来で、歯応えや味の微妙な違いが面白い。
香りでは前者が、甘さでは後者が優っているように感じた。
すっきりとした「つゆ」の加減も、山葵と大根おろしの「薬味」も、相変わらずきちんとしている。
少し間を置いて出された「かけ」は「茨城の笠間」を使用。
温蕎麦でも食感が損なわれておらず、実に精緻な仕事。
「かけつゆ」は出汁が心地良く香り、藪系のような濃さは無いがしっかりとした醤油味で、最後の一滴まで飲み干す。
かけは初めてであったが、卓越の技が感じられ満足度は高かった。
雨足の強い荒天にも関わらず、ご近所の常連さんと思しき面々で客足に途切れが無い。
ほとんどが私同様に、蕎麦前でちょっと一杯やってから、蕎麦を手繰ることを目的に訪れる方々。
こちらは蕎麦の産地やら品種に常にこだわっているため'蕎麦マニア御用達'のような店と思われがちだが、実際は下町の気安さも感じられ、「蕎麦屋酒」でゆるりと寛げることを改めて実感。
営業時間が多少狭まったが、仕事内容からすれば納得できる。
(新規に8枚の写真を追加掲載)
≪2013年2月のレビュー≫
昨年中からこちらについては、方々より情報が入っていた。
一時休業中のこともあったが、変則的ながら再開したことを伝え聞いて、今年に入ってから昼に時間を見つけて何回か訪れてみた。
場所は「東十条」の駅が最も近いが、「十条」から踏切を渡って商店街を抜けて行っても5.6分で着く。
こちらの狭い道筋には東京では数少なくなった、大衆演劇を常打ちする「篠原演芸場」が在ったりして、ひと時代前のという東京下町の風情が楽しめる。
今回は1時過ぎに到着。丁度客が退けたところだったようで、先客は無し。
入口に本日の蕎麦の産地が表示されている。常時3種類ほどが用意されているようだ。
主人をお母さんと思しき年配女性が手伝い、接客は若奥さんが担当。
酒は拘りを感じさせる品揃えで、まず広島の「雨後の月」を‘ぬる燗’で1合。
お通しの「蕎麦チップス」には、時節がら「炒り大豆」も散らされている。
品書きに並ぶ肴は定番に加え、創作的なものも見られ、一品ごとの値段は安め。
その中から選んだ「蕎麦豆腐」:寒天でやや柔らかめの寄せ加減。山葵醤油の他、山葵味噌と小松菜も添えられている。
もう一品は「チーズかえし漬け」:プロセスチーズに適度に味が浸みこみ、酒に合う。
冷酒に山口の「東洋美人」を1合追加。洒落た大ぶりのグラスで出される。
料理には「天然芝海老のかき揚げ」:下半分に芝海老7.8尾が、上に揚げ玉をこんもり乗せた独特の形状で登場。
火通りへの配慮からこのスタイルとなった思われる。パウダーソルトが添えられている。
さっくりとした揚げ上がりでやや身は硬かったが、細巻きを使う「竹やぶ」系に比べ、芝海老のため強めの揚げでも味は抜けていない。
さらに「豚肉と大根のプラム煮」なるものが面白そうだったので頼んだら、今日は豚肉では無く「牛肉と大根のプラム煮」だと言うのでお願いする。
濃いめの醤油味にプラムの酸味が加わった、意欲的な一品。
大根には旨味が浸みこみ、プラムは形が無くなるほどほどトロトロだが、湯葉や青菜も添えられていて変化が楽しめる。
酒は5勺でも頼め、宮城の「伯楽星」を追加してしまう。
蕎麦のメニューはやや複雑で「産地せいろ」と言うのは所謂‘二八’で、他に「十割」もあり、それらを組み合わせたものや、種物にも蕎麦の種類を選べるシステムになっている。
今回は「産地と十割の二種盛りせいろ」を選ぶ。
1枚目の「産地せいろ」は栃木の益子産。
やや太めだが、綺麗に揃った切り。
挽きは細か目で舌触りの良い、江戸っ子好みのタイプ。
2枚目の「十割」は新潟の三島産。
香りは強いが、こちらも微粉のためざらつき感は皆無で食感は滑らか。
さらにこちらで特筆したい点は、運ばれてきた蕎麦が程好い温度であったこと。
茹で上げられた蕎麦は冷たい水で〆ることは常識で、大抵の蕎麦屋では氷水で一気に冷やされる。
その作業自体はコシを出すための必要な工程ではあることに間違いないが、大事なのは客に出される時点の温度である。
その昔の製氷機など無い時代は、夏場でもせいぜい「井戸水」くらいしか使えなかったが、それは摂理に適ったことで、人間の舌に旨味を感じさせるには、これくらいが適温である。
キンキンに冷された蕎麦を出すことがサービスのように思われがちだが、そのままの状態では香りや味を楽しむには温度が低すぎる。
特に冬場ではこの点への配慮が必要と考える。
こちらでは一旦氷水で〆たものを、「化粧水」と言う常温の水にくぐらせ後、水切りをしてから盛りつけるひと手間が施されていると思われる。
最初のひとすすりで気が付いたが、この手法だと端的に香りが鼻腔を抜け、素直に味が舌に伝わる。
「つゆ」は香り高く上品な仕上がりで、こちらの蕎麦には良く合っている。
「蕎麦湯」には結構な粘度が添加されているが、つゆの旨味のおかげで美味しく感じられた。
比較的近場で、優秀な蕎麦屋にまた一軒出会えたことを喜びたい。
これからも数を重ねて訪れたい店。
少し時間をずらした昼時の「蕎麦屋酒」がお勧めである。
2015/09/09 更新
今や東京を代表する蕎麦の名店の一つである。
定期的に通いたいと思いつつ、こんなご時世で大分間が空いてしまった。
平日昼に時間を作って向かう。
昼時は予約が出来ないのでとりあえず様子を見ようと開店より15分ほど前に到着すると、店頭にすでに3人の方が並んでおり私も慌ててそれに加わるが、その後からも4人がすぐに続く状況。
外に行列してまで蕎麦屋に入ることは稀なことで、南向きで日当たりは良いとは言えやや強めの寒風に晒される中、我ながら良く待ったと思う。
定刻に暖簾が掛かったが、一人ずつ少し間を置いて店内に導かれる。
中央の普段6人掛けのテーブルを、アクリル板で4席に仕切った一角に通される。
まずはビールだが、こちらでは地ビールの面白そうな銘柄を出しており、その中から「八海山ラィディーン WEIZEN」をもらう。
すっきりした口当たりと、まろやかな味わいが中々良い。
お通しには「厚揚げの煮物」が付いたが良い味。
肴は品書きに並ぶ定番の他におすすめの品々が半紙に手書きされて壁に貼られており、女将さんも勧めてくれる。
それらの中から2品を注文。
「三種 酒肴おすすめ」:以前はもっと品数の多い「おまかせ酒肴」があったが、現在は手数の関係で盛り合わせはこのスタイルになっている。
オーダー順に丁寧な仕事が施されるため少し時間が掛かったが、運ばれた皿の景色は中々壮観。
横長の角皿に盛られているのは「湯葉刺し・鴨ロース・蒲鉾・玉子焼き・ポテトサラダ」さらに、鴨の後ろに「春菊のお浸し」が隠れていたので、三種ならぬ'六種盛り合わせ'の豪華版。
湯葉刺しは甘みがあり量もたっぷり。
粒マスタードが添えられた鴨ロースは分厚くジューシー。
鶏ミンチや三つ葉が加えられた玉子焼きは、綺麗な仕上がりで味も良い。
長崎五島産の蒲鉾のさっぱりした味と食感は、関東人には新鮮。
ポテサラや春菊にも神経が行き届いている。
これらの盛り合わせで1,100円は極めて良心的。
「ほろほろ鳥の天ぷら」:一口よりやや大き目にカットされた身4個が、軽く下味をつけてから天ぷら衣で揚げられており、添えは椎茸と南瓜。
結構な歯応えだが、噛めば旨味があふれ出す。
やや赤っぽくしっかりした肉質と味の濃さは、スッポンに似ている印象。
これだけの肴を前に、酒が進まないわけが無い。
まず燗酒が欲しかったので「菊姫」をぬる燗で頼むが、馥郁とした味わいが心地よい。
その後で「四季桜」を冷酒でもらうが洒落た切子のグラスで供され、すっきりした飲み口が良かった。
蕎麦は食べ比べの出来る「三種せいろ」を選択。
1枚目は山形の「出羽かおり」、2枚目は島根の「さひめ蕎麦」、3枚目は長崎の「五島 在来」が時間差を置いて、洒落た皿に盛られて登場。
いずれも十割だが、挽き方にも打ち方にもそれぞれの特性を生かすご主人の技が込められている。
香りも食感も異なり、改めて蕎麦の深淵なる魅力を知った思いである。
つゆの出来も見事。
最近の'にわか蕎麦通'の中には蕎麦にまで塩を振って悦ぶ風潮が見られるが、つゆを蔑ろにする姿勢は嘆かわしい。
蕎麦が'江戸前四大料理'の一角を占めるに至る経緯は、関東における醤油醸造技術の発達や、鰹節の流通の発展と共に歩んだ歴史が有り、蕎麦とつゆは車の両輪と言うスタンスが江戸前の基本。
こちらのつゆは、しっかりした返しと香り高く旨味も濃い出汁とが融合された、伝統に則った優れた仕事である。
それぞれの最初の一口は蕎麦を少量手繰って啜り、その後でつゆを僅かに口に含む手法で食べ進めるが、これにより蕎麦の香りと食感と共に、つゆの奥行きのある味わいの双方の良さを堪能。
薬味は本山葵と辛味大根のおろしで、つゆには溶かずさりとて蕎麦に乗せることもせずに、蕎麦を啜る合間に箸で少しずつ舐るようにすると良さが楽しめた。
蕎麦湯は別仕立てで、白濁しかなりの粘度が付加されている。
自然体であることを佳しとする私の主義に反するが、こちらについては単に時流に追従しているわけでは無く、きちんとしたご主人のポリシィに基づいた所業と受け取る。
世の中の蕎麦屋が猫も杓子もこれでは困るが、偶にはこういったタイプも良いかなと思う。
実際に注ぐと見た目ほどのドロドロ感は無く、つゆの美味さのおかげで後味は悪くなかった。
寒い中並んだ甲斐の有る、快適な時間を過ごせた。
蕎麦の出来は相変わらずのハイレベルが維持され、精緻な仕事を貫くご主人の卓越の技を存分に堪能。
それに加え蕎麦前の充実も嬉しい限り。
帰りがけに女将さんから'お久しぶりですね'と声を掛けられた。
4年近く間が空いたにも関わらず、私の顔を覚えていてくれたことを嬉しく思う。
(それだけ面倒くさい客の印象が有るのだろうが…)
心から信頼のおける佳店である。
中には疑問符の付く店も含まれるミシュランガイドだが、こちらの掲載については蓋し納得。
これからも末永く通い続けたい。