4回
2019/12 訪問
安定した実力を誇る、誰にもお勧めできる名店
亡父の祥月命日に合わせた墓参りと暮れの挨拶のために、深川に在る我が家の菩提寺まで出掛ける。
その後の食事処として思い浮かんだのは、こちらの蕎麦屋。
ちょうどやって来た清澄通りを北上する都バスに乗り込み、駒形橋に近いバス停で降りる。
最近は時分どきは平日でも外に待ち客が並ぶこともあり、またあまり遅くては蕎麦が切れて早仕舞いしている恐れがある。
ちょうど良い頃と思しき13時半過ぎに到着したが、案の定、店内は落ち着いている。
相変わらず笑顔も声も素敵な女将さんに迎えられ、座り慣れた右手の2人掛けの卓を選ぶ。
今回もビールの小瓶で始めるが、スーパードライなのは場所柄仕方ない。
お通しの「そば味噌」は揺るぎない味。
肴には「天種」を注文。
藪系ならではの「かき揚げ」だが、昔からこちらの天種は本家の「かんだ」に比べやや平べったいのが特徴。
直径10㎝ほどの円盤状に成形され、三つ葉と柚子の皮があしらわれた小粋な姿で、箸で崩すと芝海老が幾つも顔を出す。
塩は付かず濃い目のそばつゆで食べさせるところに、筋の通った姿勢が表れている。
つゆを吸って潤びた衣が、酒の肴に好適。
酒は定番の「菊正」をぬる燗で一合。
袴を履かせた白磁の徳利と、揃いの猪口の清廉さが好ましい。
肴にもう一品「かまぼこ」を所望。
昔から藪系では「鈴廣」なのでこちらもそうだと思うが、厚めに切られた上物2切れがさらに3つにカットされている。
上質のおろし立ての山葵が添えられる、間違いのない仕事。
これらで期待通りの寛いだ時間を過ごす。
蕎麦は偶には違ったものをと「ごま汁そば」にしたい気分。
しかしスタンダードなつゆも捨てがたいので、女将さんに相談するとこちらを「中もり」で頼むと、2種類のつゆが付くとのこと。
ちょっと多いかなと思うが、これで注文。
角盆で一式が運ばれたが内容は、中もりのため通常の倍量の笊盛りの蕎麦、ごま汁が注がれた蕎麦猪口と青葱の薬味、普通のつゆは徳利で出されこちらの薬味も丁寧な仕事。
蕎麦は多少の切り斑は有るが、香り・食感・のど越し何れにも優れている。
ごま汁は「まつや」ほどの完成度は無いが、なかなか良く出来ている。
もちろん普通のつゆも相変わらずの仕上がり。
少し残しておいた天種に絡めても実に美味い。
持て余すのでは思われた盛りの多さも、難なく平らげてしまった。
蕎麦湯は仕舞いに近かったので多少の粘度が感じられるが、元々余分な手を加えない自然体なので気持ちよく伸びる。
全部の猪口や小鉢に注ぎ、塩分過多とは承知の上で全てを飲み干し満足感に浸る。
帰り際に女将さんと言葉を交わす。
独立して店を設けてから、前の店から通算しても35年になると言う。(昔からほとんど変わらない女将さんは一体何歳なのだろう)
こちらに移ってから手打ちに切り替えるなど様々な変遷も有ったが、苦労の甲斐あって今では藪一門を代表する名店となった。
これぞ江戸前蕎麦屋として誇れる、安定感と安心感が備わった店。
万人向けの味とスタイルは誰にも受け入れられやすく、こちらの蕎麦を貶す人は余程のへそ曲がり。
雰囲気では建て替えられても何ら変わることの無い佇まいの、川を隔てた「並木」に軍配が上がるが、トータルのバランスの良さではこちらをお勧めしたい。
2019/12/07 更新
2017/02 訪問
気持ちの良い蕎麦屋酒を満喫
頻繁に通いたいと思いながら、何と3年近く間が空いてしまった。
スカイツリーがくっきりと見える冬晴れの中、浅草方向から駒形橋を渡り到着したのは開店より10分ほど前。
しかしすでに一組の待ち客が居る状況。
定刻より少し早めにシャッターが上がり、変わらぬ女将さんの笑顔に迎えられて入店。
ご無沙汰を詫びつつ、座り慣れた右手壁際の二人客用のテーブルのひとつを選ぶ。
今回も小瓶のビール(スーパードライ)で始める。
お通しの「蕎麦味噌」も変わらぬ味。
肴には「あい焼」を注文。
すぐに奥からジュウジュウと、フライパンで焼かれる音が聞こえて来た。
小さめにカットされて焼かれた合鴨7.8切れと、その脂を使ってこんがりと焼き目を付けた葱が乗った皿が登場。
肉はジューシーな仕上がり、葱は少し焦げ過ぎかなとも思うが、塩となないろで食べる味わいは上々。
酒に「菊正」を'冷や'で一合。
まだ立て込まない時間帯なので、気持ちの良い時間が流れる。
蕎麦は端から決めていた「おかめ」。
花巻と並ぶ、江戸前蕎麦屋伝統の種物である。
運ばれた鉢の景色は、本家とほぼ同様。
上置きは大分デフォルメされているが、定法通りに頬っぺたを模す「蒲鉾」2切れ、鼻を示す「松茸」、島田髷を表す「結び湯葉」のシンプルなスタイル。
松茸は当然ながら貯蔵品だが、厚めに切られた蒲鉾は上質である。
蕎麦は細めながら、ある程度の食感は保たれている。
つゆは藪の伝統が息づいていることが如実に判る、奥行きのある味わい。
お銚子の残りを合わせるが、温蕎麦を啜りながらの酒の美味さを再認識。
さらに蕎麦や具を平らげた鉢に蕎麦湯を注ぎ、全てを飲み干して満足感に浸る。
最近は土日などには表に長蛇の列が出来るそうだが、それも頷ける味である。
さらに女将さんの30年変わらぬ、清々しい応対振りも魅力。
混雑しない日時を選んだため、実に快適な蕎麦屋酒を楽しめた。
真面目な仕事を続ければ、それが報われることを立証しているような店。
紆余曲折が有りながらも、藪一門の中でも傑出した実力店になったことを心より嬉しく思う。
2017/02/19 更新
2014/05 訪問
藪一門にしては珍しい、本格手打に切り替えた佳店
評判を耳にして訪れた蕎麦屋で、いわゆる'地雷を踏む'ケースは結構多い。
私は新規の店の場合はよほどの感動が無い限り、一回だけの経験でレビューはせずに、最低2回は足を運んで考えをまとめてからアップするようにしている。
しかしここのところ、逆に再訪する気持ちになれない処が何軒か続いた。
無駄足を踏んだ思いをそのまま書き込んでしまうのも大人げない所業で、そんな鬱積した気分を払拭するには、気心の知れた信頼のおける蕎麦屋に限る。
最近はこちらも評判が高まり平日でも混んでいるため、敢えて荒れ模様の天気の、昼の口開け時を狙って寄ってみた。
「駒形橋」を渡った交差点越しに、丁度女将さんが営業中の看板を出すのが見える。
変わらぬ愛想のよい笑顔に迎えられて、壁際の2人掛けのテーブル席を選ぶ。
まずは「菊正」をぬる燗で一合。
肴はこちらでは初めて「親子煮」を選ぶ。
いわゆる'親子丼のあたま'であるが、やや濃いめの甘辛い味で煮込まれた鶏もも肉と葱が、卵でしっかりととじられている。
三つ葉なども良質のものは品薄になる時期だが、吟味されていることが判る。
期待通りの間違いのない仕事が嬉しい。
降り止まぬ雨にも関わらず程無くテーブルは埋まり始め、早々にそばを注文。
今回は蕎麦前が軽かったので、「中もり:1,300円」にする。
「中」は「小:700円」の倍の盛りとなっている。
ちなみに頼んだことは無いが「大:1,900円」は、3倍だと思われる。
ちまちま追加するより、手っ取り早く蕎麦だけで済ます客には有り難い手法と言える。
蕎麦もつゆも、相変わらず見事な仕上がり。
行儀が悪いと思いつつ、少し残しておいた「親子煮」の破片と煮汁に蕎麦を絡めて余さず平らげたが、これもなかなかの美味さ。
今回ふと気が付いたが、天ぷらのスタイルなどは異なるものの、メニュー構成や手打に切り替えた蕎麦の趣、更に直線的な辛さを抑えやや丸みを帯びたつゆの具合などは、「藪」よりも「まつや」に近づいた印象を持った。
これは決して悪いことでは無く、己の路線を見出した主人の見識と受け取りたい。
(新規に5枚の写真を追加掲載)
≪2012年12月のレビュー≫
前回が去年の年の瀬であったから、約1年ぶりである。
今回は朝からこちらの訪店を念頭に午後の予定を前寄せにし、2時過ぎに到着。
隅田川を抜ける風に背中をすくめながら駒形橋を渡って来たが、女将さんのいつもの笑顔に迎えられて、一遍に心まで温もる。
この寒さながら乾燥した晴天のため、ビールの小瓶で始める。
肴は江戸前蕎麦屋としては要所を抑えた品揃え。
その中から、まず「鳥わさ」を選ぶ。
湯引きした笹身を山葵醤油で和え、三つ葉と海苔をあしらった、見た目も味も小粋な一品。
おのずと腰を据えての呑み気分が高まり、早々に「菊正」をぬる燗で追加。
さらなる肴には、迷った末に「鴨抜き」にしてみた。
一口サイズにカットされた合鴨の抱き身は、脂が少なめで「並木」のような豪快さは無いが、柔らかく旨味は十分。
白い部分のみを短冊切りにした葱に、丁寧な仕事が見て取れる。
「やげんぼり」の七色(なないろ、東京人は「七味」を昔からこう呼ぶ)を振れば、さらに味が深まる。
酒に「諏訪泉」を‘冷や’でもらい、具をつまんでは一口、コクのあるつゆを含んでは一口と盃を重ね、至福の時間を過ごす。
蕎麦は「もり」1枚。
移転開店を機に手打ちに切り替えた蕎麦の出来は、すっかり安定してきたと思う。
うどんや丼物を扱わないことも好感。
他の「藪」系の店と全く異なるタイプの蕎麦になった経緯について、帰り際に女将さんに尋ねたところ、手打ちの技術のほとんどは独学とのこと。
蕎麦の趣は変わったが、蕎麦屋酒を楽しめる商売のスタンスには、江戸前の伝統がきっちりと引き継がれていることは嬉しい限りである。
≪2011年12月のレビュー≫
移転後の新店舗では建物の構造上「揚げもの」が出来ないことを残念に思っていたが、最近「天ぷら」が復活したと言う情報が入り、是が非でも訪れたい気持ちが募っていた。
12月29日の正午丁度に到着。店の外には人影は見えなかったが、中にはすでに2組が待ちの状況。
10分ほどして奥の2人掛けのテーブルが空き、変わらぬ笑顔の女将さんに導かれる。
早速「菊正上撰」を‘ぬる燗’で。
設えは「かんだ」と同様に、袴をはかせた白磁の徳利に‘正1合’。お通しの練り味噌も相変わらず美味い。
後からの客の姿が店の外まで見え始めたので、早々にお目当ての「天ぷらそば」を注文。
ほどなく出された丼には、ぱちぱちと音を立てた「藪」伝統の「かき揚げ」が乗っている。
寸分違わぬ復活に思わず顔がほころぶ。
もちろん胡麻油の香りが芳しい揚げ具合も上々で、中からはプリっとした旨味十分の芝海老が顔をのぞかせる。
手打ちに切り替えた蕎麦の食感は熱いつゆの中でもしっかりと保たれており、つゆはこの蕎麦に合わせて以前に比べて幾分薄めに仕立てられており、これが絶妙なバランスである。
自分が猫舌であることも忘れて、つゆまで一気に平らげてしまった。
定法通りに温蕎麦にも「蕎麦湯」が付くが、別に蕎麦猪口が添えられているところが親切。
ちなみに「天もり」というメニューは無く、「天種」と「もり」をそれぞれの注文となることも「かんだ」に倣っている。
前回のレビューでの‘完全手打ちへの移行は「かんだ」の呪縛からの解放’という表現が少々誤解を招いたようだが、伝統的な良い部分を律儀に残しているところは大いに褒められるべきと思う。
蕎麦の安定感と「天ぷら」の復活で、より一層の人気店になることであろう。
川を挟んで「並木」に比肩する存在にまでなることも、十分に期待できる。
≪2011年4月のレビュー≫
20年前の独立当時は何から何まで修業先の「かんだやぶ」にそっくりのスタイルであった。
その後少しづつ独自色を見せ始めてはいたものの、移転をきっかけに一気に完全手打ちに切り替えるという英断に打って出た。
昨年訪れた折にはまだ不慣れな面が見られたため、その後の様子を確かめようと1年振りに寄ってみた。
春の陽気に誘われて、完全な高さにまで伸びた「スカイツリー」を見上げながら、隅田川沿いを「駒形橋」の袂までぶらぶらと歩く。
12時前の時間帯でもほぼ満席の状態に、まずは安堵する。
前回示した通り「天ぷら」が無いのは残念だが、「かまぼこ」「玉子焼き」「鳥わさ」といった江戸前蕎麦屋伝統の肴は健在。
今回選んだ「吸とろ」は、おろしたとろろ芋を蕎麦つゆで調味し、山葵と海苔を散らしたもの。
酒は定番の「菊正」を‘冷や’で。お通しの味噌は「かんだ」に倣った味に、蕎麦の実が混ぜられている。
これで暫し寛ぐが、なかなかの満足感。
蕎麦は基本の「もり」。見かけは1年前に比べ‘切り’が揃っている。つゆなしでひと啜りしてみたが、香りもあり食感も良くなっている。
しかし「つゆ」には疑問を感じる。伝統の辛汁にさらに甘味を添加させたというような出来で、現在の蕎麦には明らかに味が強すぎる。
「蕎麦湯」と合わせれば豊かな広がりを見せたため、全体にもう少し抑えた味わいの方がつり合いが取れる。
以前は「かんだ」と同じに「せいろう」と呼んでいたが、今は蒸篭ではなく笊に盛るようになったため「もり」としているのは律儀。
基本の2倍の盛りの「中」、3倍の「大」を品書きに載せていることは面白い。これは藪伝統の少なめの盛りが酒飲みに目を向けたものであるのに対し、食事目的に訪れる客への配慮のようだ。
一概に「藪」一門といっても、本家の「かんだ」と分家の「並木」(休業中)と「池の端」、「かんだ」から明治時代に暖簾分けの「上野」「浜町」といった主だった店だけを見比べても、年数を経るうちに味にもスタイルにもかなりの違いが現れるようになった。
この店も良い意味で「かんだやぶ」の呪縛から解き放たれたということになるのか。
まだまだ変化の過程であり、今後の方向をこれからも見守っていきたい。
帰りがけに相変わらず愛想の良い女将さんに“そば、良くなっていますね”と一声かけて、店をあとにした。
≪2010年3月のレビュー≫
長らく休業中であり消息を案じていたが、昨年末、新店舗にて再開。
移転先は同じ町内であるから店名に偽りはないが、「駒形橋」の袂という、蕎麦屋としては申し分のない立地。
川を隔ててはいるが、「並木藪」や「蕎上人」から1,2分の距離。
前店舗に比べ、ゆとりと趣のある外観だが、内装にはあまり手が掛かっていないのが残念。
蕎麦は主家の「かんだ」はじめ、この系統のほとんどが機械切りであるのに対し、完全手打ちに切り替えた。
食感も色合いも、以前とは全く異なる蕎麦である。
出来栄えは未だ発展途上といった状況だが、独自の方向を見出したようだ。
つゆや薬味は丁寧な仕事を維持。
品書きに「天ぷら」が無いのが気になるが、もともと飲食店仕様でない店舗を借りたため、油煙が近所に迷惑が掛かることに配慮して、断念したそうだ。
女将さんのゆかしい接客ぶりは健在。
全体的に値段は控えめ。
通し営業の売り切り仕舞のため、夜は営業しない。
「昼下がりにゆるりと蕎麦屋酒」という楽しみ方をするには、格好の店になったことは歓迎したい。
2014/05/23 更新
氷雨降る冬至の日、時間を作って足を運んだのは安定した仕事ぶりが約束されたこちら。
頻繁に訪れているつもりが、3年以上間が空いてしまった。
最近は常に混んでいると聞いており、こんな天気なら大丈夫だろうと開店時刻に合わせて向かうと、10分前で駒形橋を渡った交差点の向こうに傘をさした5.6人の人影が見える。
慌てて私も加わり、定時に無事入店することが出来た。
中央付近の2人掛けのテーブルに通される。
入店時にはマスクをしていたため分からなかったようだが、すぐに気づいてくれた女将さんはわざわざ席まで'お久しぶりですね'と挨拶に来てくれた。
この寒さなので今回は「熱燗(菊正宗)」で始める。
お通しの硬めに練り上げた「そば味噌」は、本家とは異なるこちらのオリジナルだが相変わらずの美味さ。
肴にはまだレビューに登場していない2品を注文。
「わさび芋」:コシの強いつくね芋の摺りおろしが小鉢に盛られ、本山葵と揉み海苔があしらわれている。
醤油の他に酢が添えられるのは「かんだ」の本家譲りで、酢を少量垂らすことで粘り気が多少抑えられ、箸でも食べやすくなり味も締まる。(ちなみに「並木藪」では、芋をちぎって刺身のように山葵醤油で食べさせるスタイル)
吸いつくような食感と吟味された芋の旨味を堪能。
「カツ煮」:以前から品書きに載っており気になっていたが、注文するのは初めて。
一般的な蕎麦屋が出しているのは所謂'カツ丼のあたま'だが、さすがにこちらでは景色が異なる。
とんかつ自体は厚からず薄からずのロースカツで、衣の付き具合も揚げのスタイルもごく普通。
割下はそばつゆベースの濃い目の甘辛味で、葱が玉ねぎでは無く長葱なのが目に付く程度。
特徴的なのは卵の綴じ方で、1個がカツの中央に乗っているが黄身と白身は溶き交ぜてはおらず、黄身を少し崩したくらいで固まっておりカツ全体を覆ってはいない。
両者の火通りの温度差を計算に入れた仕事で、やや硬めながらそれぞれの味や食感が楽しく、これを敢えて品書きに載せている理由がわかる。
2本目のお銚子は「ぬる燗」でお願いして、暫しの蕎麦前を楽しむ。
今回の蕎麦は「花まき」。
「おかめ」や「玉子とじ」などと共に江戸前伝統の種物の一つ。
何しろ上置きは海苔だけなので、その品質が命。
誰が決めたというわけでは無いが、海苔の香りを閉じ込めるため木蓋を被せて供されるのが江戸前の習わしで、薬味にも葱は付けず摺り山葵のみと言うのも定法通り。
おもむろに蓋を取れば、馥郁たる磯の香りが立ちあがる理想的な景色が現れた。
蕎麦を手繰ればきちんと食感が保たれており、徐々に溶け出す海苔と絡めて啜れば思わず顔がほころぶ。
濃い目で奥行きのある出汁の味わいは、まさに王道の仕事。
温蕎麦にも必ず添えられる湯桶から釜湯のままの蕎麦湯を注ぎ、旨味を余すところなく頂き充足感に浸る。
10回以上通っているが、今回の「カツ煮」には新たな発見があったし、「わさび芋」や「花まき」には筋の通った仕事が貫かれていた。
一部は値上げされているが、基本的なメニューの価格が据え置かれているのは立派。
改めてこちらが私にとって大事な店であることを痛感。
期待通りの満足感に、支払いの際に女将さんに思わずこちらから'ありがとうございました'の言葉が出てしまった。
これをもって本年最後のレビューと致します。
今年一年つたない書き込みをご覧いただき、また多くの'いいね'を頂戴し有難うございました。
来年も引き続き、宜しくお願いいたします。
どなた様も、良いお年をお迎えください。