3回
2017/11 訪問
私にとって心から寛げる大切な場所
定期的に足を運びたいと思いながら、他に廻りたい蕎麦屋も多いため2年以上も間が空いてしまった。
今回は、いつも食べ歩きに付き合ってもらっている友人と二人で訪店。
一週間ほど前に席の確保の電話を入れて、6時半ごろに入店。
現在は完全予約制となっており、この日は2人ずつ3組のようだ。
和やかな笑顔で迎え入れてくれた店主の嶋田さんに無沙汰を詫びつつ、我々はカウンター中央の2席を選ぶ。
まずは「生ビール」で喉を潤すうちに、酒呑みの勘所を掴んだ品々が少量ずつ出される、いつものコースが展開していく。
料理の流れは毎回ほぼ同様で、掲載の写真もあまり変わり映えしないが、改めて確認すると要所要所に巧みな技が光っている。
最初の4品は「味噌豆・南瓜のサラダ・実山椒入り昆布煮・なめこの旨煮」。
中では、サラダのマスタードの効かせ具合、薄味に炊いた昆布、黒コショウが振られたなめこが、面白かった。
次の「蕎麦の実のスープ」は、この時期なので温製で。
ミルクや生クリームも加わった、サラッとしていながら奥深い味わい。
「蕎麦ずし」の芯は時々で変わるようで、今回は海老・胡瓜・牛蒡・薄焼き卵・干瓢などが確認できる。
綺麗な断面で、味の調和も良い。
「盛り合わせ」は、今回は14品が長皿で登場。
個々に付いての言及は控えるが、特に珍しかったのは、鯔の白子の旨煮、敢えて苦味を残した鰻の肝の寄せ物で、食べ応えのある牡蠣の生姜煮や蛸の桜煮も良かった。
一品ごと丹念に味わうのは楽しい。
「蕎麦がき」は手早く練り上げたものが成形されて登場。
粗挽きの粉を使っているため、香りとともに食感も秀逸。
今回の「蕎麦クレープ」はピンク色に染まっており、何とビーツの粉末を混ぜ込んで焼き上げているとのこと。
味についてはいつもと変わらないが、遊び心が感じられて面白い。
酒はこちらの定番の「景虎」「真澄」「大七」「獺祭」をこの順で注文。
お馴染みの錫のちろりで出されるが、これで出されると殊のほか美味く感じる。
蕎麦は私は「みやま」を、お相手は「せいろ」にする。
「みやま」はやや太めのいわゆる田舎蕎麦で、手挽きされた粗目の粉のため多少繋がりは悪かったが、香りは十分で噛みしめると甘味が感じられる。
「せいろ」も歯応え良く、喉越しも軽快。
「つゆ」も相変わらずの、江戸っ子好みのバランスの取れた仕上がり。
蕎麦湯はご主人に猪口を渡すと、釜湯を注いでくれるスタイルで、柚子を一片添える粋な計らいがゆかしい。
全てに渡り、期待通りの満足度の高さであった。
変わらぬ居心地の良さは、こちらの店ならではのもの。
話好きなご主人とは、多くの事を語り合えた。
主な話題はこの近所の蕎麦屋はじめ方々の店についてだが、私の意見にも熱心に耳を傾けてくれて、実に快適な時間を過ごせた。
こちらはマックス8席のカウンターのみの完全予約制であるため、なかなか席の確保が難しいと見られている。
最近は客もそれを見越して、混みそうな日にちを避ける傾向にあるそうだ。
そのため殺到すると思われがちな週末が、案外空いていることも有るとのこと。
この店の私の評価がなぜ5点満点なのかを、不思議に受け取られる向きもあると思われる。
正直言って、何回も通ううちには蕎麦の出来に多少のブレがあることもあるし、コースの内容はほぼ固定的で、目新しいものが少ないことにもどかしさが覚えることも有る。
しかしカウンター越しに、小気味の良い江戸言葉で語りかけるご主人と対峙し、心ゆくまで「蕎麦屋酒」で寛ぐ時間は何物にも代えがたい。
こちらが私にとって大切な場所であることを、改めて痛感。
2017/11/19 更新
2015/02 訪問
江戸前伝統の小粋な蕎麦屋
約一年振りである。
今年になってから寄ってみようと当日に電話を入れると、2回ほど満杯の事があった。
最近の人気の程が窺える。
今回は2.3日前に予約を入れて、席を確保してからの訪店。
店に入り何か様子が変わっているなと思ったら(実際は主人に言われて気が付いたのだが)、カウンター後方の前までステンレスだった食器棚が、立派な木製のものになっていた。
つい最近特別注文で設えたそうだ。
材質は栗の木で、木場近くの東京湾の海中に100年近く寝かされていた巨木を、乾燥させた板を使っているとのこと。
意匠も洒落ており、表面には柿渋が薄く塗られ、美しい木目を生かして仕上げられている。
これだけでも一見の価値はあり、お寄りになった際はとくとご覧いただきたい。
料理や蕎麦は相変わらずのレベルの高さで、今更付け加えることは無い。
折から氷雨の降りしきる天候で、この日は私以外は一組だけ。
その方たちが先に帰った後は、いつものように蕎麦屋関係の四方山話(ちょっとゴシップも交えて)に花が咲いた。
(新規掲載の写真は3枚)
≪2014年3月のレビュー≫
信頼を寄せる蕎麦屋への定期訪問。
と言っても、昨年4月の「オフ会」以来であるから、1年近くも間が空いてしまった。
最近は予約で満杯の事も有るので、念のため電話を入れて6時ちょうどに引き戸に手をかけた。
7席に既に予約が入っているようで、私は主人と正対する真ん中の席に促される。
過去のレビューを読み返してあまり書き足すこともないが、思いついたことを少し付け加えたい。
いつものようにお任せで、最初に「蕗味噌などの定番4品」さらに「蕎麦の実のスープ」「蕎麦寿司」と続く。
メインの「盛り合わせ」の品数は16品で、以前に比べだんだんと増えており、今回は30センチ近い横長の皿で登場。
酒は「生ビール」の後、こちらの常連でもある某レビュアーさんが、国元から運んでくれたという「東洋美人」など3合の酒を、丹精込めた肴の数々でゆっくり楽しむ。
時間差を置いて訪れた後客への、余裕の接客振りや客あしらいは相変わらず見事。
そんな中でも主人とは折々に言葉を交わしながら、暫しゆるりとした時間を過ごす。
蕎麦は久しぶりに「かけ」。
蕎麦は冷たい「もり」に限ると豪語する人もいるが、その店の実力を測るには「かけ」という考えも一理ある。
茹で上げた蕎麦を一旦水で〆て、更に温める工程を踏むため、「かけ」にはより精緻な仕事が求められる。
こちらでも揺るぎない力量が発揮された納得の出来栄え。
つゆの加減、蕎麦の食感ともに申し分なし。
主人は夜だけの営業に切り替えて良かったと言っていた。
こちらのような形態の「蕎麦屋酒」に主眼を置いた店は、昼に食事目的で訪れたのでは真価は問えない。
夜にスポットを当てて欲しい蕎麦屋について、昼の慌ただしい時間帯の蕎麦一杯のみで評価されてしまう事を、腹立たしく思うケースは間々ある。
食堂系の町場の蕎麦屋ならまだしも、蕎麦屋は酒を嗜む処という江戸前の流儀に則った店については、そこのところは十分に考慮が有って然るべきと考える。
(新規に5枚の写真を追加掲載)
≪2013年4月のレビュー≫
今回はいつもお世話になっているレビュアーさん総勢8名の「オフ会」での利用。
土曜日の夜、ご主人に無理を言って貸切にしてもらう。
男女4人ずつの錚々たる面々がカウンターに並んだ。
料理はいつものように‘おまかせコース’だが、主人は何時にも増して気合が入っていたようだ。
生ビールで乾杯の後、さっそく‘錫のちろり’で出される酒に切り替える。
こちらの定番の「景虎」「真澄」「獺祭」「大七」のうち、「獺祭」の入荷が無いとのことで、それに代わる同じく山口の「東洋美人」「山頭火」、それに高知の「船中八策」、福島の「寫楽」というラインナップで、それらを次々と注文。
料理の細かな説明は、他のレビュアーさんにお任せするが、その出来は相変わらず見事。
蕎麦も4人分ずつまとめて茹でるため、やや仕上がりに雑な面があったのは仕方ないにしろ、味の面では全く問題ない。
料理にも酒にも一家言ある方々に概ね満足して頂いたようで、ホッと胸をなでおろしている。
(11枚の写真を新たに公開)
≪2012年10月のレビュー≫
予想外に雨が降り続く夕刻、こんな時は普段立て込む人気蕎麦屋でもゆっくり出来ることが有る。
思い立って、ちょっとご無沙汰のこちらへ足を向ける。
夜の開店時刻少し前に到着してしまうが、店主はいつもの笑顔で迎え入れてくれた。
案の定、今夜は珍しく一組も予約が入っていないとのこと。
カウンターの中央に陣取り、まずは生ビール。
肴はいつもの定番ものが中心だが、何度食べても飽きない小粋な味わいである。
カウンター越しに主人と交わす会話はなかなか楽しく、「景虎」「真澄」などを追加して和やかな時間を過ごす。
主な話題は互いに最近訪れたり、注目しているあちこちの蕎麦屋のこと。
主人の同業者の目線で感じた意見は私には実に興味深く、私の客の立場からの物言いは主人にとっては面白く受け取られるようだ。
すっかり話し込んでしまったが、8時過ぎても降り止まぬ雨のせいか、最後までこの空間を一人で独占となってしまった。
〆の蕎麦に主人が勧めてくれたのは、最近試しているという「手挽き深山の熟成そば」。
俗に蕎麦は「三立て(挽き立て・打ち立て・茹で立て)」が好ましいとされるが(これに「剥き立て」が加わった「四立て」という考え方もある)、最近「打ち立て」をすぐには出さずに、打ってから冷蔵庫で何日か寝かして味や香り食感に変化を持たせる手法が出現するようになった。
しかし寝かせることが必ずしも美味さにつながるとは限らず、客に出すまでには何度も試行錯誤を重ねるようだ。
今回こちらの主人が自信ありげに出してきた「深山」は、打ってから5日目だそうだ。
「深山」は一般的に言う「田舎」で、従来のこちらの「深山」はいかにも一茶庵系らしく細かい挽きでエッジが立ち、どちらかと言うと香りは淡かったが、今回の蕎麦は見た目も黒っぽく、手挽きならではの粗さが目立つ以前とは全く異なるタイプ。
これが寝かせたことの効果なのか、豊かだが決して粗野で無い香りと噛んだ時の甘味は新鮮に感じた。
本来の小粋な「お江戸の二八」とは正反対のスタイルはやや意外であったが、新しい世界に踏み込んだ主人の姿勢には拍手を送りたい。
≪2011年12月のレビュー≫
ちょこちょこと訪れてはいるが、写真掲載も含めてレビューも更新したい。
今回は土曜日「新国立」でのオペラのマチネの帰り、市ヶ谷からだらだらと坂を上って来た。
いつものように‘おまかせ’で、最初の4品は「肉そぼろ入り練り味噌・山くらげ煮物・生海苔醤油煮・みそ豆(納豆の前段階)」。
その後「蕎麦の実のスープ」「蕎麦寿司」と続く。
酒は生ビール、越後の「景虎」を注文。この後いつもなら「獺祭」に行くところだが、震災以降ラインナップに加わった福島の「大七」を選ぶ。相変わらずこちらの‘ちろり’で出される酒は美味い。
やや大きめの皿に盛り合わされた肴は11品。
何れも手間の掛かった仕事が認められ、満足感に浸る。
蕎麦はシンプルに「せいろ」1枚。
仕上がりに間然するところは全く無い。
私が子供のころから通い慣れた老舗以外で頻繁に通う都心の新しい蕎麦屋の中には、新進気鋭の若手職人の店が多いが、こちらはそれらの上に別格に位置する店。
安定感は抜群である。
≪2010年11月のレビュー≫
更新のレビューです。
‘蕎麦屋は粋に酒を嗜む処’という江戸前の流儀に、最も合致していると私が考える店。
「錫のちろり」で出される酒は、特に美味く感じられる。
主人一人の作業であるため、「肴」は下準備されたものを盛りつけることがほとんどで、「蕎麦会席」というほど凝った料理は出て来ないが、神経の行き届いた仕事振りが随所に見られる。
今回、〆に選んだのは「深山のかけ」。太すぎない蕎麦の歯あたりと、上品に出汁が薫る甘味を抑えた「かけつゆ」の加減が絶妙。
2.3か月に1度程度は訪れているが、カウンター越しに主人と言葉を交わしながらの「蕎麦屋酒」は実に楽しく、居心地の良さは毎回変わらない。
≪2010年2月のレビュー≫
都内では珍しく、昔からの町名を細かに残している牛込界隈。ここは外堀方向から坂道を登り切った「納戸町」。新しいフレンチやイタリアンの評判店も集まる、都内でも有数の美食地帯である。
主人は「市川一茶庵」の出身。長年、埼玉に店を構えていたが、江戸情緒への思い入れや祭り好きが嵩じて、5年ほど前、東京進出を果たす。
靴を脱いで上がる蕎麦屋には珍しい「掘りごたつ」式のカウンターが主体で、主人が相対で接客する。
蕎麦は2種類で「せいろ」と、やや太い「深山」で、どちらも江戸前の二八。蕎麦の品書は限られており、やはりこの店の真価が発揮されるのは、「蕎麦屋酒」が楽しめる夜である。
メニューもあるようだが、私はいつも‘おまかせ’でお願いしている。小粋な味わいが数多く出てくる。少量ずつの盛り付けのセンスも光る。
錫の酒器で供される「獺祭」「影虎」といった酒の味も格別。
主人一人で全てを賄っているが、間合いを取りながらそつなくこなす手連の技も見事である。
出てくるまで多少時間がかかっても、一向に苦にならない。
ストイックな姿勢を貫くあまり、客に苛立ち感ばかりを募らせる最近の若手職人には、ぜひ参考にしていただきたい。
料理にストップをかけたところで、「せいろ」か「かけ」で〆るのが常道。
「蕎麦」も「つゆ」も、理想的な江戸前の味わい。
ちなみに、この店は灰皿を常時卓上には置いていないが、客の要望があれば出している。もともと庶民の憩いの場であった、‘江戸前の蕎麦屋’の伝統が息づく店としては、好ましい方式である。
マニアックさを突き詰めれば、蕎麦屋が「全面禁煙」になるのは判らないではない。依然TPOをわきまえない喫煙者は多い。
しかし、ストイックな嫌煙者の愛煙家に向けての全人格を否定するような物言いは、私のような一切煙草を吸わない人間にも、息苦しさを覚える。
今に“酒は鋭敏な感覚を阻害するので、蕎麦屋では出すべきではない”などという理屈が、まかり通る時代が来るかもしれない。
2015/02/20 更新
訪れた日にちは前後するが、今年最後のレビューは心から寛げるひと時が約束されたこちらの蕎麦屋。
ここ2.3年の内にご主人の嶋田さんとはこの近所の蕎麦屋でご一緒することは有ったが、実際にお店に伺うのは何と6年ぶり。
数日前に電話を掛けて空いている日時を訊くと、土曜日の18時からならばOKとのこと。
本当は一人ではダメなのだが、他の客との兼ね合いで受け付けてくれた。
定時に到着し靴を脱ぎながら'こんばんは'と声を掛けると、'いらっしゃいまし!'という歯切れの良い江戸言葉が返ってきた。
既に先客の2人が居り、私にはカウンター中央の席が用意されていた。
足元に太竹を渡した掘りごたつ式の座席には、床暖房が程よく効いている。
まずは生ビールで始めるが、口開けながら注ぎ方も上手く美味しい。
料理はおまかせのコースが坦々と展開される。
☆「前菜四品」がまず登場。
朱塗りの盆に4つの可愛らしい器が乗っており、内容は「鶏味噌」「滑子のそばつゆ煮」「豆苗のお浸し」「味噌豆」。
八丁味噌仕立ての鶏味噌、粉山椒が効果的な滑子、くせが抜けて歯触りの良い豆苗、東京人にとっては懐かしい味噌豆、何れも相変わらずの丁寧な仕事。
☆「蕎麦の実のスープ」はこちらの定番の一品で、挽いた蕎麦に粒を残した部分も加えて鰹出汁で煮込み、ミルクと生クリームで伸ばして調味してあり、思いのほかサラッとしている。
さらに上に振りかけられた蕎麦茶用の炒った蕎麦の実が、舌触りのアクセントとなっている。
☆「そば寿司」もこちらの定番だが、芯の具材は時々で変わる。
今回は山牛蒡・胡瓜と紅しょうがの細切り・薄焼き卵がきっちりと巻き込まれており、綺麗な断面を見せている。
予め巻かれているので蕎麦のコシなどは無いが、その分味が馴染んでいる。
☆「八寸盛合せ」はバラエティに富んだご主人渾身の品々が、横長の皿に並ぶ。
「シメジ入り玉子焼・煮蛸・南瓜と小豆のいとこ煮・メカジキ角煮・赤蒟蒻・蒲鉾昆布はさみ・牛蒡旨煮鰹節塗し・丸十煮梅肉添え・子持ち昆布・酢はす・鰻肝煮凝り・プチトマト赤ワイン煮・牡蠣しぐれ煮・赤蕪漬け」で、一品ごと丹念に味わうのは実に楽しい。
味も食感もそれぞれ面白いが、特に煮蛸、冬至に因んだいとこ煮、肝の煮凝り、牡蠣が印象に残る。
☆「蕎麦がき 鬼おろし仕立て」はネーミングは私が勝手に付けたものだが、搔きっぱなし蕎麦がきの上に粗く下した大根と柚子皮や青葱のみじん切りが盛られ、そばつゆが回し掛けられて、最後に粉鰹と青海苔が振りかけられている。
モッちりとした蕎麦がきにたっぷりの大根おろしの適度な辛味が相俟って、こういった提供の仕方も中々面白い。
☆「蕎麦の実雑炊」:蕎麦の実を蓮根・蕪・人参などとともに出汁で柔らかく炊いて、玉子も加えて仕上げられている。
根菜類は蕎麦の実と同じくらいの粒状に刻まれているので、舌触りが良い。
味付けも控えめで、しみじみとした優しい逸品に仕上がっている。
ここで酒について。
こちらでは酒は昔から'錫のちろり'で供される。
錫には不純物を除く働きがあるそうで、心なしか味がまろやかに感じる。
「景虎」「真澄」「大七」の順で頼んだが、小粋な品々を啄みながら快調にグラスが空いていく。
ご主人との会話が楽しいことも有ったが、寛いだ時間が流れ、さらにおすすめの別の「真澄」を1合追加。
結果的に結構な酒量になったが、錫の効果か酩酊した自覚はほとんどない。
しかしいつまでも呑んでいる訳にも行かないので(先客の若い男女の客は、大分前に退店)蕎麦をお願いする。
手際よく茹で上げられた二八の「せいろ」は、細目に端正に揃っておりシャキッとした歯触りと小気味良い喉越しを兼ね備えた、まさに江戸前の粋を感じさせるもの。
出汁の旨味とかえしのコクがバランスよく融合したつゆも、申し分の無い仕上がり。
私が最も安心できるタイプの蕎麦である。
蕎麦湯は蕎麦猪口を手渡せば釜湯が満たされるスタイルで、これも理に適っている。
別仕立ての蕎麦湯など、江戸前の流儀からすれば邪道に過ぎない。
徳利に残ったつゆも全て割ってもらい、美味さを余すところなく頂く。
デザートは剥いた林檎に、種まで食べられる色鮮やかな石榴の粒が散らされたもの。
清々しい気分で、コースが〆られた。
改めて私にとっては格別な場所であることを実感。
コース内容が画一的と言った意見も聞かれるが、蕎麦屋酒を楽しむには十二分の内容。
嶋田さんとカウンター越しに交わす会話は実に楽しく、この日も4時間近く話し込んでしまった。
ご主人にとっても、私のような人間は格好の話相手のようだ。
嶋田さんは一茶庵系でもごく初期に分かれた今は無き「市川一茶庵」の出身で、最初に設けた川口の店は「禅味会」にも所属していた。
こちらに移ってから20年ほどで、昔は人を使って昼も開けていたが、60歳を機にワンオペでも賄えるコース仕立てに移行し、予約のみの営業に切り替えた。
通い始めて15年以上になるが私が最も信頼を置くベテラン蕎麦職人であり、これからも末永くお付き合い願いたい。
これを持ちまして、本年最後のレビューと致します。
今年1年、拙い文面と我儘な物言いにお付き合い頂き、まことにありがとうございました。
来年も引き続き、宜しくお願い申し上げます。
どちら様も、どうぞ良いお年をお迎えください。