3回
2019/06 訪問
静謐な雰囲気の中、贅沢なひと時を堪能
子供のころから馴染みの老舗蕎麦屋への定期訪問。
ゆっくりしようと、14時過ぎに足を運ぶ。
さすがにこの時間帯なので閑散としていたが、目当てにしていた坪庭に面した席は塞がっており、手前の方の2人掛けのテーブルに通される。
まずは「生ビール」。
お通しには「切り昆布の煮物」が付いた。
肴には'季節もの'から「えだ豆」をもらう。
茹で立てでは無いが、鞘の両端が切り落され、色鮮やかに仕上がっている。
吟味された素材であることが分かり、味もまずまず。
もう一品は「穴子天ぷら」。
運ばれた皿の景色はなかなか壮観で、3つにカットされた大ぶりの穴子一尾分が、やや厚めの衣で茶色っぽく仕上げられた、江戸前蕎麦屋ならではの仕事。
衣は硬めだが、中はホクホクで旨味が濃い。
最初の一切れは添えられた酢橘と塩で食べてみると決して悪くは無かったものの、この揚げ具合ではおろしたっぷりの天つゆの方が相応しい。
穴子は夏場が旬だが、特に今時のものは「梅雨穴子」と呼ばれ、昔から江戸っ子に好まれた逸品。
分厚い切り身は食べ応え十分で、鰻に引けを取らない濃密な美味さが楽しめ、これで1,200円は安い。
酒には蒸し暑さから、今回は「菊正宗 樽酒」を冷酒でもらう。
洒落たガラス器で供され、これらで心行くまで蕎麦前を楽しむ。
蕎麦は「もり」を大盛で注文。
こちらの「ざる」と「もり」の違いは、以前にも述べているため割愛する。
「ざる」に比べれば多少の野趣は有るが小粋さは保たれており、滑らかな舌触りと喉越しの良さは揺るぎない。
重ねて特筆したいのは「つゆ」の美味さ。
濃い目ながらバランスの取れた奥行きのある味わいは、これだけを舐めながら酒が一合呑めるほど。
藪までの辛汁では無いため蕎麦猪口に注がれて出されるが、浸け具合は手元で調整できるため全く問題ない。
今回敢えて大盛にしたのは、少し残しておいた穴子天入りの天つゆでも食べたかったから。
こちらは「天ざる」発祥の店として有名だが、その基本理念は天ぷらの油分や旨味を十分に溶け込ましたつゆで、蕎麦を美味しく食べさせることにある。
この手法に倣って、天つゆで潤びた穴子天を絡めた蕎麦の味は格別だった。
蕎麦湯はもちろん釜湯のままの自然体。
別仕立てのドロドロを出す店については、それなりのポリシィが有るならまだしも、ただ流行りに追従するだけの姿勢は愚かしく、それを本物だなどと喜ぶ輩にも困ったものである。
蕎麦湯はつゆを美味しく飲ませるための手段で、それ自体は目立たせない奥ゆかしさが江戸前の基本。
期待を決して裏切らない、安定した仕事ぶりを確認。
江戸前の老舗の大体が通し営業だが、半端な時間帯で最も寛げるのはこちらであろう。
外人観光客の姿も少なく、落ち着いて「蕎麦屋酒」が楽しめる。
「まつや」や「並木」の下町風情も捨てがたいが、こちらの静謐で洗練された空気感は独特。
ホールのお姐さん方の応対ぶりが前述の2軒に比肩するレベルとなれば、5点満点の評価を下しても良いと思う。
都内の「砂場」系の主だった老舗でも、江戸時代初期より続いていた「巴町」が2.3年前に閉店。
他には「虎ノ門」が蕎麦の出来は今一つながら、大正時代より続く木造の店構えが評判で、お上りさんや外人さんには人気が有るようだ。(「南千住」はあらゆる意味で論外)
こちらと「虎ノ門」は明治の初めにまで遡れば同じ出自だが、現在ではほとんど共通点は見られず、あちらの主人は「布恒更科」での修業経験が有るため、メニュー構成は砂場と言うより更科系の色合いが強い。
仕事振りは時代の流れにより店それぞれで変化するものだが、砂場らしさを伝える蕎麦屋と言えばやはりこちらと、此処から直接分かれた「赤坂」だけと言うことになる。
私と入れ替わるように、齢80前後と思われる7.8人の団体が入店。
学生時代からか勤務先での同僚だったか分からないが、昔からの仲間が定期的に蕎麦屋で酒を酌み交わし、旧交を温めているグループと見受ける。
私の父も亡くなる直前まで60年来の友人たちと、通し営業の蕎麦屋に半端な時間帯に集い、ゆっくりすることを楽しみにしていた。
父たちは専ら「まつや」か「上野藪」だったが、こちらもそのような面々には格好の場所であり、東京の老舗蕎麦屋らしい好ましい光景に映る。
私の周辺でもそろそろリタイアした友人が多くなり始め、平日昼の会食に誘われることも間々ある。
まだまだ脂っこいものが主流だが、そういった連中にも蕎麦屋呑みの楽しさを啓蒙していきたいと思う。
2019/06/28 更新
2016/07 訪問
「蕎麦屋酒」を楽しむ上質の心地良さ
午前中の都心でも用事が長引き、気が付いたら1時半過ぎ。
少し遠回りして、久方振りに通し営業のこちらに足を向ける。
中央付近のテーブルでは、和やかに酒を酌み交わす年配者のグループが居るが、やはりこの時間帯だと概ね店内は落ち着いている。
手入れの行き届いた坪庭に臨む、窓際の2人掛けのテーブルに通される。
まずは生ビール(ヱビス)をもらう。
お通しは「刺身蒟蒻の酢味噌かけ」。
肴には季節ものから「冬瓜の冷し鉢」を選択。
薄味で煮含められた冬瓜を出汁ごと冷し、中央に八丁味噌仕立ての鳥そぼろが盛られている。
ガラスの器が洒落ていて、涼やかな味わいも好ましい。
'冷や'を一合追加し、雨に濡れた庭の風情を愛でながら、ゆるりとしたひと時を過ごす。
蕎麦は久々に「天ざる」にする。
胡麻油の香りを漂わせて、一式が登場。
かき揚げがどっぷりと浸されたつゆで蕎麦を啜れば、改めて「天ざる」の醍醐味はこの手法に尽きることを確認。
蕎麦を手繰った後、この種物の主役であるつゆに'けれんみ'の無い蕎麦湯を注げば、豊かに味が広がり、思わず顔がほころぶ。
都内には幾つかの「砂場」の流れが有り、この店も本家を名乗るうちの一軒。
しかし安定した仕事振りと風格ある雰囲気では、こちらと此処の直接の分家である「赤坂」が、間違いなく頭一つは抜きん出ている。
帰り際に今回も、可愛らしい絵柄の燐寸の小箱をもらってきた。
父の代から続く、我が家の大切なコレクションである。
(新規に9枚の写真を追加掲載)
≪2013年3月のレビュー≫
冬場の蕎麦屋のスぺシャリテと言えば、真っ先に挙げられるのは「鴨南ばん」である。
さらに最近は「牡蠣」を使った蕎麦を売り物にしている店も増えてきて、趣向を凝らしたスタイルで自慢の味を競っている。
しかしそれらよりも歴史のある種物として、古くから江戸っ子に好まれていたのが「あられそば」である。
冬場から春先が旬の「青柳」の貝柱である「小柱」を温蕎麦に仕立てたもので、以前は大抵の江戸前の蕎麦屋で季節ものとして出されていた。
しかし最近は漁獲量の減少と価格の高騰で、良いものはほとんど「高級天ぷら屋」にまわり、蕎麦屋で目にすることはめっきり減った。
そういった中でもこの時期の看板メニューとして出し続けているのが、こちら「室町砂場」である。
ここでも名物の「天ざる」のかき揚げ用に、小粒の小柱は年間を通して扱っているが、「あられ」には選りすぐった大粒のものを用いる。
良質のものの入荷が無い時にはシーズン中でもやらないこともあり、品書きにも‘時価’の文字が記されているためか、なかなか一般的には馴染みは無いようだが、この美味しさは格別である。
久しぶりにこの味を楽しみたいと思い立ち、事前に出していることを確認した上で、客の退きかけた1時過ぎに暖簾をくぐる。
まずはいつものように「菊正」を燗で一合。
お通しは定番の「梅くらげ」である。
肴には貝が重なるが、これもこの時期から味が乗る「あさり」を選ぶ。
いわゆる「しぐれ煮」だが、ふっくらとした煮加減で相変わらず美味い。
長居はするつもりは無いので、早々にお目当ての「あられそば」を注文。
ほど良い大きさの丼の中央に四角い海苔が敷かれ、その上に結構な量の新鮮で大粒な「小柱」が盛られている。
生の「小柱」はかけつゆの熱さで僅かに火が入り、貝独特の旨味が活性化して実に美味い。
食感を残した蕎麦も、旨味が溶け込んだつゆと相俟って、何とも瀟洒な味わいである。
定法通りに温蕎麦にも添えられた「湯桶」から蕎麦湯を注ぎ入れ、最後の一滴まで飲み干す。
「あられ」の2,100円と言う価格は、「小柱」の質や量、それに仕事の内容からして決して高くはない。
この伝統の種物を出し続けている江戸前の老舗としての気概と、揺るぎない仕事振りを改めて実感した。
≪2011年8月のレビュー≫
慣れ親しんだ老舗の定期訪問である。
平日の4時前、やはりこのくらいが一番落ち着ける。
まずは「生ビール」。お通しに珍しく「刺身こんにゃく」が出てきた。
肴は久々に「やきとり」を‘たれ’で注文。
胆が一切れ混ざっているのが嬉しい。パセリの無造作な飾り方がちょっと残念だが、味は相変わらずの美味さである。
「菊正のぬる燗」を1本追加して、暫し寛ぐ。
蕎麦は何にしようと品書きを眺めて、「三味そば」という新顔が目に付いた。
2,3年前からの新メニューだそうで、三つ葉などの3種が乗った‘ぶっかけ風’の冷たいそばとのこと。
この季節にはもってこいなので試してみた。
最近はスーパーなどでは軸まで緑のごわごわした水耕栽培の「糸三つ葉」がほとんどで、痛みやすい「切り三つ葉」はあまり見かけないが、東京では昔から軸の白い三つ葉が好まれたもの。
この種物にはさっと茹でられて食感と香りの良い「切り三つ葉」と辛すぎない「大根おろし」、それに質の良い「揉み海苔」がたっぷりと凛とした歯応えの蕎麦に乗り、濃いめの「もり汁」が回し掛けられている。
何とも小粋な味わいが、舌に心地良かった。
次回は久しぶりに「あられ」目当てに、冬場に寄ってみたい。
≪2010年2月のレビュー≫
「藪」三家や「まつや」とともに、子供のころから幾度となく訪れている店。
「砂場」にも本家を名乗る店は数軒あるが、ここはその中の一つ。本家同士の交流はあるようだが、長い歴史を経て、味の方の共通点はあまり見られない。
もちろんここから50年近く前に分家した「赤坂」とは、味の差はほとんど無い。
佇まいは「赤坂」が良いが、ゆっくりと寛ぐにはスペースの広いこちらの方が上。
蕎麦の出来については、多くの方が述べられているので言及は控えるが、特筆すべきは「蕎麦屋酒」が楽しめる、上質の心地良さである。
「藪」の趣や風情とはまた異なる、場所柄からの客筋の良さと、凛とした風格は他の追随を許さない。
此処が元祖とされる「かき揚げ」がつゆに浸って出てくる「天もり」の供し方については、とかく異論を耳にするが、味の点ではこの方式が実に理にかなっている。
「天もり」という種物は、天ぷらの味を十分に溶け込ましたつゆで、冷たい蕎麦を食させるところが身上である。
それは「鴨汁そば」における鴨肉が、つゆにコクと旨味を添加させるのと同じ理屈である。
最近は天ぷら専門店並みに上物の魚を使い、高度な技術を追求する蕎麦屋が増え始めているようだ。
しかしそんな店ならまだしも、厚めの衣で派手に花を咲かせるといった昔ながらの流儀の一般の蕎麦屋でも、天ぷら用に天つゆや塩を添えるところがある。
体裁が良いため、これをサービスと思って有難がる人もいるが、味の面で納得することはまず無い。
これでは別々の料理を食べていることと変わりなく、つゆを仲立ちにして蕎麦と天ぷらを一体で楽しむという、誕生の経緯と本来の目的が忘れられている。
中には天ぷらの油が蕎麦つゆに混じるのが嫌だ、などと頓珍漢なことを宣う御仁もいるが、何のための「天もり」かと問い正したくなる。
「天ぷら蕎麦」でも天ぷらを別盛りで出す店があるが、これは「うな重」を注文した際、鰻とご飯が別々に出てくるようなもので感心しない。
もっとも最近は、本来魚介が主であるべき「江戸前の天ぷら」とは異なる、「精進揚げの盛り合わせ」と呼んだ方がふさわしい、蕎麦とどちらが主役かわからないような、盛りの良い天ぷらを売りにする蕎麦屋が増えているので、この現象もいたしかたないのかもしれない。
いずれにせよ、両者の相性を楽しむために誕生した「天もり」の趣旨からは、随分とかけ離れたものである。
近頃は「鴨汁そば」でさえ、つゆには鴨の味を一切加えず、焼いた鴨を別添えにする蕎麦屋が出現しているそうだ。
鴨の旨味を湛えた、玄妙な味わいで食する蕎麦の醍醐味など何処へやら。それを有難がる客もいるというから畏れ入ってしまう。
閑話休題、ここは蕎麦屋の定法通りの通し営業であり、午後のひと時をゆるりと過ごされることをお勧めする。歴史によって醸成された味とスタイルは捨てがたい。
客層は一線を退いたと思しき年配者が主体。東京人ならば、行き着く処はこういった蕎麦屋で寛ぐことが理想であろう。
2016/07/28 更新
我が家は代々東京住まいなのでお盆は新暦の7月に執り行っており、梅雨が戻ったような天候の中、今年も深川の菩提寺へ墓参りに出掛けた。
その帰りに下町の何処ぞの店に寄って食事をするのが子供の頃からの慣例で、今回は亡父との思い出も多いこちらを選択。
繁忙時を避けた14時近くに入店したが3割ほどの客入りで、お目当てにして坪庭に面したテーブルも塞がっている状況。
お姐さんの'小上がりは如何ですか'の言葉に従い、正面奥の店全体が見渡せるような卓に靴を脱いで上がる。
こちらの小上がりは赤坂の店と違って、ゆったりとしている。
まずはビールをもらおうと思うが、卓に置かれたプレートの「東京ホワイト」が目に入り、面白そうなので頼んでみた。
キャッチフレーズの'フルーティーな香りとすっきりシャープな飲み口'の通りに、爽やかな味わいがなかなか良かった。
お通しに付いた「梅くらげ」も美味しく、案外このビールに良く合う。
こちらには3年ぶりだが、その間にメニュー全体が刷新されている。
以前は縦書きで字が小さく見難いと言う声も有ったが、今では横書きで見やすくなっている。
内容も変わっており、以前は一応提供はしてはいたが表には出していなかった「うどん」が堂々と載っており、肴にも「天吸い」などの'吸い'が加わっている。
'吸い'とは一般的な'抜き'で、種物から蕎麦を抜いた江戸前伝統の手法で、ちょっと飲むには好適な肴。
以前は通人好みの'裏メニュー'だったが、きちんと載るようになった。
3種の中から「おかめ吸い」を注文。
「おかめの抜き」は「かんだやぶ」や「まつや」で試したことが有るが、こちらのスタイルも大いに興味がある。
運ばれたのは蓋つきのやや小ぶりの専用の丼で、蓋を取った景色は「おかめ」と変わらず、薬味には葱とおろし立ての本山葵が添えられている。
定法通りの2枚の蒲鉾は厚めで上質。
おかめ用に通常よりもしっかりと焼き上げられた玉子焼き、比較的あっさり目に煮含められた冬菇椎茸、こちらオリジナルの小振りの才巻海老が色を添え、さらに結び湯葉が乗り三つ葉が散らされている。
下に敷かれた焼き海苔はつゆを吸っても簡単に溶けない特注品で、箸で摘まんで味や食感が楽しめる。
酒にはまず「菊正宗 樽酒」を冷酒でもらい、これに合わせる。
具を摘まみつゆを啜りながらの冷や酒は、まことに快適。
後はどうしようかと思案するが、目を引くのは'丼もの'。
「室町砂場」でご飯ものを出すなど昔は考えられなかったことで、お姐さんに訊くと、コロナの影響でテイクアウトを始めた際に考案したものが好評で、1年半くらい前から店内でも出すようになったそうだ。
「焼鳥丼・天とじ丼・親子丼」の3種が並んでいるが、こちらの肴では「玉子焼」と並ぶ人気の「焼き鳥」が乗ると思われる「焼鳥丼」に大いにそそられ、思い切って頼んでみた。
暫しの後に運ばれた重箱の蓋を開けると、薄く敷かれたご飯の上に刻み海苔が散らされ、手前には馴染み深いもも肉の照焼き5個が並び、向こう側には敢えてポロポロに仕上げたと思われる炒り卵と、薄切りにされてから炒めた長葱が乗り、青味のしし唐が一個添えられている。
焼き鳥の出来は上々でそのタレも少量掛かっており、炒り卵はやや甘目で、一見牛蒡に思える長葱は薄目の味付け。
ご飯は正直言って、ゴワゴワして余り美味しくは無い。
やはりご飯の炊き方や保存については慣れていないのではと、勘繰りたくなる。
試行錯誤の末にこういったスタイルに落ち着いたと思われるが、味のバランスは悪くない。
サイドメニューとして「ほうれん草の煮びたし」と香の物に「柴漬け」が付くのは気が利いている。
量は多くないので、これだけで食事にするには不向きであろう。
ちょっとゴワゴワのご飯も焼き鳥と合わせると肴に好適で、燗酒(菊正宗 特撰)を追加すると結構楽しめた。
これらで暫しののんびりとした時間が流れる。
丼物を食べたので後はどうしようかと思うが、こちらで蕎麦を食べずに帰ることは有り得ない。
「もり」を一枚貰うが、シャキッとした蕎麦の仕上がりも、深みのあるつゆの出来も揺るぎなくスルスルと完食。
蕎麦湯は昼の遅い時刻なので少し濁っていると思いきや、白湯に近いさらっとしたもの。
これは釜の湯を小まめに換えている証拠で、江戸前の老舗として褒められるべきこと。
今回は中々面白い体験ができた。
新顔のクラフトビールに始まり、肴に選んだ「おかめ吸い」の満足感も中々。
極めつきは「焼鳥丼」で、まさかこちらでお米のご飯を口にするご時世が来るとは、夢にも思わなかった。
歴史に照らしてみれば、社会的な事件が発端となって新しいメニューが誕生することは間々あることで、コロナ禍を切っ掛けに品書きに加わった丼物が、いずれこちらの名物になる可能性も十分考えられる。
今回の支払いはこれだけ盛り沢山の内容で、6,000円でおつりが来た。
ちなみに「おかめ吸い」は1,050円で、「おかめ」より300円安い値付けは律義。
「もり」は3年前から50円値上げされているが「ざる」は上がっておらず、共に650円というお値段。
構えや店の格からすればもっと高くても不思議は無いと思うが、良心的な価格維持は好ましく思う。
以前のメニューには'タンニンが蕎麦の味を阻害するため、蕎麦屋では茶を出さないのが伝統'といった能書きが綴られており、茶を出さない主義が貫かれていた。
しかし現在は所望すれば、普通に緑茶を出しているようだ。
変節とも取れるが、丼物の件を含めて老舗であっても改革は必要であることを痛感。
帰り際にレジで、こちらの名物である季節の絵柄が外箱に刷り込まれた燐寸を頂く。
今回は「蜻蛉の団扇」の絵であったが、父の代から続く我が家の大事なコレクションである。
現在こちらでは2階の座敷を除いて全面禁煙だが、これを作り続けている点に老舗の矜持を感じる。