5回
2020/12 訪問
現況を様子見がてら、この時期限定の「ゆず切り」目的で訪れる
元々相席必至のこちらの蕎麦屋が、このご時世にどのような対応を見せているかを確認しようと、ちょうど冬至の「ゆずきり」を出す期間に合わせて訪れてみた。
向かったのは16時と言う、経験上最も空いていると思しき時間帯。
混雑時は淡路町の駅の階段を上がった所から人の群れが見えるほどだが、さすがに店頭に客の姿は無かった。
しかし中を覗けば、粗方のテーブルは塞がっている状況。
左右2つの引き戸は右側が入口で、その前に消毒用のアルコールスプレーが置かれている。
中に入るとお姐さんにより検温器がおでこに当てられ、その後で席に誘導される。
引き戸は換気のため常時少し隙間が空けられているが、扉の脇の席に当たった場合は少し寒いかも知れない。
私は中の列の右の壁際に通されるが、何度か座ったことの有る懐かしい席である。
このテーブルは普段は6人掛けだが、真ん中に高さ60㎝ほどの木の衝立が置かれており、事実上2人席×2となっている。
中央の8人席も衝立で2つに仕切られているため必然的に席数は減っており、いつもの隣客と肘が触れ合うような密の状態は回避されている。
中には食事のみの客も居るが、多くの客が一杯やって寛いでいる光景は普段と変わらない。
卓上に置かれた品書きを見る限り、メニューに制約は無いようだ。
まずはビールを頼もうと3社を訊かれて思わず'サッポロ'と答えたが、てっきり中瓶が出てくると思いきや大瓶の「サッポロラガー」の登場に驚く。
ひとこと文句でも言おうと思ったが、こちらもきちんと中瓶と告げなかったし、有れば有るで飲んでしまうのでそのままにした。
実際にお通しの「そば味噌」を舐めながら、乾燥した喉は潤いを求めスイスイ入っていく。
肴には色々食べたい気持ちと、半端な時間帯なのでヘビーなものは避けたい思いが交錯し、お姐さんに「おかめの抜き」が出来るか訊ねると、流石に心得たもので即座に'かしこまりました'の言葉が返ってきた。
暫しの後に登場した丼上の景色は当然ながら「おかめ」と同様で、定法通りの2枚の蒲鉾の他に自家製玉子焼き・湯葉・鳴門・青味のほうれん草、もちろん必須アイテムの椎茸と筍の旨煮も乗っており、蕎麦が無い分「結び蒲鉾」が一個入っているのも'抜き'ならではの仕事。
具材の下には海苔が一枚敷かれているが、蕎麦が無いため早めに溶けるため、つゆ自体が海苔汁の状態になるがそれも一興。
具材を丹念に味わい、合間に「花巻の抜き」のようになったつゆを啜るのはなかなか楽しい。
腹が膨れて往生するかと思った大瓶のビールも、難なく飲み干してしまった。
もう少し呑みたいので「ぬる燗」を一合。
合わせて肴に「うに」をもらう。
「うに」と言っても瓶詰の練り雲丹だが、酒精分が控えめで吟味されていることが分かる。
まったりした味わいが「菊正」との相性が良いので、昔から度々注文している。
蕎麦はお目当ての「ゆずきり」。
数年前のレビューでも一度取り上げたが、毎年冬至を挟んだ5日間に限って提供される。
こちらの蕎麦は普段'挽きぐるみ'で打たれるが、「ゆずきり」は色を綺麗に出すため更科粉を特別に仕入れていると思われる。
ほど良い色と香り、さらにシャキッとした歯触りには遊び心が溢れている。
盛られた小振りの円形の蒸篭も「ゆずきり」専用で、毎年この時期だけに使われるもの。
味の面での遜色は一切無い。
お姐さん方の動きは一見するといつもと変わらないように思えるが、やはり衝立が有るため普段とは勝手が違い、目配りに不十分な点が見られるのは致し方ないこと。
老舗でも安閑としていられないご時世ながら、客入りに変化が見られないことにひとまず安堵。
何より年末の風物詩である「ゆずきり」が、例年通りに提供されたのは嬉しい限りである。
混んでいなければ「まつや」に来た気にならない私のような人間にとって、テーブル上に衝立が置かれた景色は奇異に映るが、これも仕方のないこと。
しかし相席となった見知らぬ客と自然にコミュニケーションが生まれる、この店ならではの和気あいあいとした情景が望めないのは誠に残念である。
2020/12/29 更新
2019/10 訪問
私にとって、こちらのトップは揺るぎない
この日も東京女子医大病院に朝から出向いたが、結構時間が掛かり終了したのは14時を大きく回っていた。
昼食はおろか朝食も摂っていないので、さすがにお腹が空いた。
この時間帯できちんとしたものを食べるとなると、通し営業の慣れ親しんだ蕎麦屋に限る。
向かったのは、曙橋から都営に乗れば4つ目の小川町で降りてすぐのこちら。
15時に入店するも、この時刻でも半数の席は埋まっている。
帳場を正面に見る、中の側3列目の左端に通される。
ほぼすべてのテーブルにお銚子やビール瓶が林立しており、蕎麦屋の楽しみ方を弁えた方が多いことは喜ばしい限り。
私もまずはビール(一番搾り中瓶)をもらう。
こちらも最近は定番の他に「季節のおすすめ」が用意されている。
10月も末だが今年は暑さが長引いたせいか、別添えのメニューは夏の名残のラインナップ。
その中からまず「青大豆 冷やし豆富」をもらう。
美しい色合いで、少量の醤油を垂らせば豆の甘みが心地よい。
茗荷や生姜、大葉や葱の薬味の取り合わせも良い。
肴にはもう一品「かき揚げ天種」を頼む。
正式には何というか知らないが、これは品書きに載っていない裏メニューながら時々注文しており、お姐さんは即座に了解してくれた。
黒塗りの器で供される内容は、「天南ばん」用に小さ目の海老を二連で揚げたものが2つと烏賊のかき揚げ、それに海苔と大葉の組み合わせ。
揚げの技術は上々で、海老は小振りながら味はしっかりで、歯触りが優しい烏賊も美味しい。
塩などでは無く、濃い目の天つゆが添えられるのが'蕎麦屋の天ぷら'の定法。
これに合わせて「冷や」(常温)をもらうが、この方が酒との相性が良い。
相変わらずお姐さん方の応対ぶりや所作は鮮やかで、それらを眺めるだけでも気分が良い。
ここに亡き父に初めて連れて来られたのは小学生の時分。
それ以降、傍から見ればさぞや生意気だったであろう学生の頃に、私の顔を覚えていてくれた馴染みの方を含め、のべ数百人が入れ替わっていると思うが、代々引き継がれる客あしらいは見事。
最近は外人さんの来店も多く、この日も隣のテーブルに居合わせたが、片言ながら英語での応対にも感心させられる。
お銚子は調子よく空いていき、もう一本追加。
合わせて「葉わざび」をもらう。
てっきり醤油漬けが出てくると思ったが、登場した小鉢の中身は綺麗な緑色で、シャキッとした歯触りと鮮烈な辛味が特徴。
新鮮な歯と茎を用いて、大量には作り置きしない丁寧な仕事が窺える。
蕎麦は温蕎麦の「きつね」を選択。
こちらには30回以上は訪れているが「きつね」は初めてである。
町場の蕎麦屋の定番だが、こちらでは敢えて頼むことは無かった。
運ばれた丼の上置きは、縦長の三角にカットされた油揚げの他、短冊状の葱が印象的。
油揚げはそれほど濃い味では無いがしっかりと煮含められており、これだけを酒の肴で品書きに載せて欲しい出来。
蕎麦は茹で上げが精妙のため、しっかりとした食感が保たれている。
つゆは油揚げの煮汁が多少染み出すのでその分味が濃くなるが、さらに奥行きが増した味わいが好ましい。
温蕎麦にも湯桶が添えられるのが定法で、つゆを割って適度な味に調整した上で、丼を傾けて最後の一滴まで飲み干す。
これも江戸前の老舗ならではの醍醐味である。
ちなみに東京で一般的な「きつねそば」は、大阪では「たぬき」と呼ばれる。
油揚げを乗せた種物はうどんでは「きつね」だが、蕎麦が台になると名前が「たぬき」に化けるようだ。
また関西でも大阪と京都では違いが有るようで、なかなかややこしい。
変わらぬブレにない仕事に、今回も満足度は高かった。
期待通りの寛いだ時間が過ごせた。
一段高い帳場には、現在の女将さんが座っている。
少し前までは若女将と呼べる初々しさがあったが、今ではこの大店を差配する貫禄が備わっている。
こちらはお姐さん方がテーブルで直接対応する会計スタイルで、わがままな常連や年配者相手に煩雑なことも多いと思うが、てきぱきとこなしている様子は立派。
こちらが何故5点満点なのかを、怪訝に思われる向きもあろう。
何度も言うように単純に蕎麦の出来や美味さだけで評価すれば、昨今の都内の蕎麦屋事情からしてこちらを上回る店はいくらでも在る。
しかし「江戸前蕎麦屋愛好家」の端くれにとっては、こちらはあらゆる意味で別格なのである。
この場に身を置いて嗜む「蕎麦屋酒」は、まさに至福のひと時。
多くの蕎麦屋を巡り歩いても、私が最後に回帰するのがこちらであることは間違いない。
2019/11/02 更新
2018/02 訪問
この時期に相応しい「小田巻むし」。「ごまそば」も絶品
いつでも寄れると思いつつ、2年以上も間が開いてしまった。
都心での用事の帰り、淡路町の駅から1.2分で到着。
平日の16時頃で、このくらいが最も寛げるはずだが、それでも3割ほどの入り。
3列目の中央付近の一角に通される。(ちなみに両側の壁際の何席かも空いていたが、そちらは年配者への優先席のようだ)
周囲の客の粗方がビールなりお銚子なりを注文し、のどかに「蕎麦屋酒」を楽しんでいらっしゃる。
私もまずは'ぬる燗'で始める。
お通しの「蕎麦味噌」を箸先で舐めつつ盃を運ぶ、いつもながらの快調なスタート。
肴には久しぶりに「焼きのり」を所望。
専用の小箱に短冊状にカットされた7.8枚が収められ、醤油の小皿とおろし山葵が添えられている。
「藪」系のように'焙炉'は使われてはいないが、この時期なので何ら問題ない。
吟味されていることが分かり、パリッとした食感はもちろん滋味あふれる味わいは、酒の肴に打って付けである。
もう一品は懐かしい「小田巻むし」を、最初に頼んでおいた。
「小田巻むし」とは通常の茶碗蒸しにうどんが入ったもので、手間と時間がかかるため最近は出している店は珍しい。
品書きでは'種物'の欄に載っているが、うどんを食べることを目的にする食事向けのメニューではなく、こちらでは完全に酒の肴である。
一本目のお銚子がちょうど尽きかけた頃、タイミング良く蓋つきの小ぶりの丼が登場。
開けてみてまず目に入るのは、三つ葉の緑と柚子の黄色、さらに茶色の椎茸である。
しかし箸と蓮華で探ってみると、様々な食材が顔を覗かせる。
蒲鉾・湯葉・小海老・鶏肉・筍・銀杏・百合根などが次々と現れ、まさに'宝探し'のような楽しさである。
そばつゆを加えた'卵の地'にそれらの旨味が加わり、口福感あふれる一品に仕上がっている。
もちろんうどんも底の方に潜んでいるが極めて少量で、これは多くの味をしっかり含んだ'おでん'における'ちくわぶ'のような役割を果たしている。
酒に'冷や'を一合追加し、これに合わせる。
身も心も温まるこの時期に相応しい肴での「蕎麦前」に、思わず顔がほころんでしまう。
蕎麦はこれも久しぶりに「ごまそば」を選択。
丸い蒸篭の盛られた蕎麦に胡麻だれが添えられる、こちらの名物の一つ。
蕎麦の出来はゆるぎないが、さらに胡麻だれの仕上がりが素晴らしい。
そばつゆに胡麻の風味とコクが加わっており、甘さ辛さのバランスや濃すぎない粘度など、これ以上の胡麻だれを出す蕎麦屋を私は知らない。
途中から卓上の「七色」を振り入れれば、また味の変化が楽しめた。
蕎麦湯は余分な手が加えられていない、外連味のない江戸前王道のスタイル。
たっぷりと注いで、心地良い余韻に浸る。
今回も大満足の「蕎麦屋酒」となった。
こちらは「神田藪」「並木藪」「室町砂場」と言ったところに比べれば、より大衆的な'飯屋系蕎麦屋'に近いスタイルが顕著である。
しかし折角訪れるのであれば、是非「蕎麦屋酒」を楽しんでいただきたい。
今回のような小粋な肴で一杯やる楽しさを一度経験されれば、私が5点満点の評価をする意味をご理解いただけると思う。
これだけの人気店となり何時でも混雑する状況では、味にも接客面にも常に万全と行かない事があっても仕方ないと思われるが、こちらについてはそういった不満を抱いた経験はほとんどない。
尤も混んでいるならば客の方も訪れる日時を選ぶなど、それなりの工夫が必要なことは当然のこと。
初めて親父に連れて来られた50年前と変わらぬ店内を改めて見回せば、ここかしこに様々な思い出が残っている。
築90年を過ぎた木造店舗は「藪」のようなアクシデントが無くとも、建て直される時は必ず来ると思う。
しかし私が生きているうちは、このままであって欲しいと思うばかりである。
ちなみに最近のこちらの書き込みについて思うことが有り、日記の方に述べさせていただいた。
そちらの方もご高覧あれば有難い。
2018/02/23 更新
2015/12 訪問
蕎麦屋としては最良の味と業態を維持している稀有な店
混んでいることを承知で師走のこの時期、久々に「ゆずきり」目当てに足を運ぶ。
平日の5時を少し回った時刻。
外で待つのは嫌だが、並んでいる人は居なかったので中を覗いてみると、案の定9割の入り。
慌ただしく落ち着かない状況を嫌がる人も多いが、私などは混雑していなければ「まつや」に来た気がしない。
むしろこの空気感を楽しむつもりなので、見知らぬ他人と相席になることに、何ら不都合は無い。
中程の8人卓の端を選ぶ。
まずは「熱燗」。
肴には「天ぬき」を注文。
「蕎麦味噌」を箸先で舐りながら盃を運んでいると、5分ほどで「天ぷらそば」と同じ丼が登場。
熱いつゆには大きな海老天2本が浸っており、蕎麦が無い代わりに底の方に、結んだ蒲鉾が一個沈んでいる。
海老天を齧り、つゆを啜ったりしながらの酒は、実に楽しい。
潤びた衣が濃い目のつゆに馴染んで混然となった味わいで、「冷や」で頼んだ2本目のお銚子も、気持ちよく空いていく。
最後の盃を流し込んだ頃にタイミング良く、専用の丸い蒸篭で「ゆずきり」が運ばれた。
数年前に一度試したことが有るが、前に比べて黄色が鮮やかになった気がする。
食感も香りも程良く、単なる縁起物以上のなかなかの美味さ。
これならば「ゆずきり」をお家芸にしている「本陣房」系にも劣らない出来である。
毎年冬至を挟んだ時期に限定して出しており、今年は18~23日まで。
以前目にした蕎麦に関する文献で、地方の蕎麦は「文明」に当たるが、東京の蕎麦は「文化」であるという記述が有ったが、蓋し頷ける話だと思う。
米や麦の穫れない痩せた土地でも育つ蕎麦を、人類がその英知で「蕎麦切り」というスタイルに仕上げたことは、ひとつの文明と言える。
文明と言うのはだれの目から見ても合理性が有り、普遍的なものである。
しかし文化は、その土地固有に育まれるもので、端の人間から見れば不合理な点が多く、そこには歴史に翻弄された時代の流れや、そこに生きる人の情緒が関わって来る。
江戸時代から山里では主食であった蕎麦も、江戸の町中では些か事情が違っていた。
太平の世が続いた時代、江戸っ子の主食はあくまでも白米であり、蕎麦は一種の嗜好品として扱われ、趣味食と言う位置付けであった。
また当時は今のように自家製粉を行う蕎麦屋は皆無で、収穫された時期に纏めて挽いた粉を、一年で使い切るのが常で有り、新蕎麦の香りを楽しめる時期は限られていた。
そのため香りが無くても、蕎麦を上手く食べさせる工夫や遊び心が施された。
蕎麦の実を挽き分けて、その食感の違いを愛でたり、色や香りを添えた「変わり蕎麦」の誕生、さらに季節感を生かした「種物」の考案などと言った、多様で華やかな世界が展開する。
風流人や大店の旦那衆の間で、粋な食べ物で有った蕎麦に酒を合わせる風習が生まれたのも、当然の成り行きであった。
それが次第に庶民にまで広がり、蕎麦屋で一杯やることが江戸っ子の嗜みとして根付き、それが「蕎麦前」の発展へと繋がるわけである。
その点は地方出身の方にはなかなか理解され難いようで、蕎麦前有りきの東京固有の蕎麦文化を揶揄する声も聞かれる。
確かに蕎麦だけで判断するなら、産地で食べる方が美味しいであろうし、蕎麦本来の野趣や風味を度返しする、東京のスタイルがお気に召さないことも、無理からぬことである。
だからと言って、蕎麦屋は蕎麦だけの出来で評価すべしという、ローカルルールに固執することは如何なものかと思う。
昔から'郷に入っては郷に従え'という言葉が有るように、折角東京にお越しになったのであれば、「蕎麦前」の楽しさを含めた「文化」としての蕎麦を堪能されることを、進言させていただきたい。
今回の「天ぬき」や「ゆずきり」などは、江戸前の蕎麦文化の粋な遊び心を、端的に示したものと言えよう。
(新規に6枚の写真を追加掲載)
≪2013年12月のレビュー≫
この日は亡き父の祥月命日。仕事を午前中で切り上げ、深川に在る我が家の旦那寺に向かう。
墓参りと暮れの挨拶を済ませた後に向かうのは、生前父が最も足繁く通い、私も思い入れの多い「まつや」である。
昨年9月の「オフ会」以来の訪店。
2時ごろに到着したが、平日にも関わらずほぼ満席。
馴染みもお姐さんに、一番奥の縦向きの卓に案内される。
この店には至る所に子供の頃からの思い出が染みついているが、ここの席も何度も座っている懐かしい場所。
まず「菊正」を‘ぬる燗’で一合。
肴にはレビュアーさん情報から「かき揚げ天種」を注文。
「かき揚げ」と言っても小海老2本の筏揚げ2連と、小振りの烏賊のかき揚げ、それに海苔と大葉というラインナップ。
これは「かき揚げ天丼」や「天南ばん」に使うものを「天種」として出すため、品書きには載っていない‘裏メニュー’である。
昨今の流行のように塩などを添えずに、蕎麦つゆと同じ濃さの多めの「天つゆ」が付くのが嬉しく、構わずドボッと浸す醤油味の濃さが、酒に良く合う。
これぞ‘江戸前蕎麦屋流天ぷらの醍醐味’である。
周囲の喧騒を後目に、2本目のお銚子を頼んでゆるりと盃を重ねる。
さて蕎麦の注文の段になり、後には「揚げ玉」の浮いた旨みたっぷりの「つゆ」が結構残っているため、一計を案ずる。
すなわち、これも懐かしい「ごまそば」を大盛りで頼み、蕎麦を2種類のつけ汁で楽しむことを目論む。
我ながらこれは名案で、つゆの美味さを余さず味わえ満足度が倍加した。
残ったそれぞれの器に「蕎麦湯」を注ぎ、最後の一滴まで飲み干す。
その「蕎麦湯」も茹で湯のままの、さらっとした白湯に近いもの。
釜の湯を頻繁に変える手間を怠らない、老舗ならではの揺るぎない仕事である。
諸物価高騰のため11月から値上げされた旨が、壁に掲示されている。
品書きを眺めると、ほぼ一律に50円ほど上がっている。
と言ってもこの内容と満足度であれば、十分納得のいく価格設定と言える。
父への供養も果たせ、今回も実に充実した時間を過ごせた。
(新規に10枚の写真を追加掲載)
≪2012年9月のレビュー≫
今回はいつもお世話になっているkさん主宰の「オフ会」で、女性も交えた4人のグループで土曜日の3時半過ぎに訪れた。
土曜日はこの時間帯でもほぼ満席で、暫くすると外に2.3組の待ちが出る有り様。
相変わらずの盛況ぶりである。
最近は一人でぶらっと寄ることが専らのため、本日は人数も多かったのでいろいろ注文が出来て良かった。
しかも現在は手間と時間がかかるため予約が必要の「玉子焼き」を、幹事のお計らいで事前にお願いしてあったので久しぶりに味わえた。独特のフォルムと味は健在。
その他にも数々のものを頼み、周囲の客が何回転かするのを尻目に、ビールやお銚子も結構な本数を空けてしまった。
※ 注文の肴は次の通り:「鳥わさ」「玉子焼き」「にしん棒煮」「そばがき」「親子煮」「焼きのり」「焼き鳥(たれ)」
一部写真写りが悪いものがあり、良いものだけを新規に掲載する。
6時過ぎになってそろそろ蕎麦をと、各自好みのものを注文。
私は久々にこちら以外の蕎麦屋ではまず食することの無い「カレー南ばん」にして、懐かしい味とスタイルを堪能。
‘蕎麦は香りが命’とか‘温蕎麦は邪道’などと言う方は眉をひそめるかも知れないが、この店の歴史を感じさせる味で、私にとっても思い入れのある種物の一つである。
途中で翌日から両国で始まる「大相撲」を触れ回る口上を述べる一行がこちらを訪れ、店内にその声が響き渡った。
本場所の際にはこの辺りの老舗を回るのが恒例のようで、江戸情緒を味わえる恩恵に浴せた。
退店時まで常にごった返す店内であったが、雰囲気の悪さは一向に感じさせない。
手慣れたおばちゃんたちの客あしらいも見事である。
これでお勘定は一人5,000円でお釣りが来る。
満足度いっぱいで、店を後にした。
改めてお誘いいただいたkさん、ご一緒していただいたrさん、bさんに感謝申し上げたい。
≪2012年4月のレビュー≫
頻繁に訪れているが写真の掲載を含めて、レビューも更新したい。
平日の4時過ぎ、夜の予定が入っているのでちょっと入れておこうと立ち寄る。
さすがに満席では無いが、一杯やるには丁度良い混み具合。
時間を気にしない年配者のグループが何組か目に付き、そのいずれもが嬉々として「蕎麦屋酒」で寛いでいる。
先年80歳過ぎで亡くなった父も逝く直前まで月に1回程度、60年来の学生時代の仲間と昼過ぎの空いた時間に集まっては、お互いの無事を確認するかのように昼酒を楽しんでいた。
いつものように「菊正」をぬる燗でもらう。
お通しの「蕎麦味噌」をなめつつ盃を口に運びながら、子供の頃から何十回と通っている店内を改めて見回す。
肴に選んだ「とりわさ」は湯引きした笹身を山葵醤油で和え、丁寧な包丁技が光る白髪ねぎと海苔がたっぷりと天盛りにされている。
変わらぬ味とスタイルが嬉しい。
蕎麦は「天南ばん」にする。
「天南ばん」とは通常の「天ぷらそば」では大きな海老天2本が乗るのが定法であるのに対し、それを1本に減らして「南蛮」すなわち「長葱」の短冊切りを添えて値段を抑えたもので、昔は結構多くの蕎麦屋で見かけた。
こちらでは大きな海老天の変わりに小さめな海老3尾の‘筏揚げ’と葱が乗っており、見た目は豪華。
これで普通の「天ぷらそば」の半額とは、何となく得した気分になれる私にとっては懐かしい種物である。
もちろん味は揺るぎ無い美味さである。
未だ「つゆ」の扱いで提供方法に明確なスタイルが見出せない比較的新顔の「天もり」よりも、伝統の温蕎麦の「天ぷらそば」の方が、蕎麦と天ぷらの相性を楽しむには勝っていることを改めて思う。
温蕎麦にも添えられる「蕎麦湯」を注いで、最後の一滴までつゆを飲み干し満足感に浸る。
これで勘定は2千円ちょっととは、驚くべき安さである。
≪2010年12月のレビュー≫
「ゆず切り」目当てに「まつや」に出向いた。
この店では毎年この時期だけ‘冬至そば’と称して「ゆず切り」を出している。今年は12月20日から24日まで。
子供の頃から通算すると、こちらへは30回近く訪れていることになるが、「ゆず切り」を食するのは初めてである。というのも、年の瀬はこの店、一日中混雑することを承知しているので、毎年避けていたからだ。
実はいつもお世話になっている蕎麦専門の有名ブロガーの記述に、引き寄せれられるように足が向いてしまった次第。
案の定、3時過ぎの時間帯にもかかわらず、客の出入りに途切れが無い状況だ。
まずは「熱燗」と「粒うに」を注文。
お通しの「蕎麦味噌」も相変わらず美味い。
見回すと「大旦那」も「若旦那」も客席を巡って、馴染み客への挨拶に忙しい様子。
さらに客が次々と入ってくる。
やはり少々落ち着かず、早々に「ゆず切り」を頼む。
日頃と異なる作業は勝手が違うだろうが、鮮やかな色合いは見事である。
食感の良さでは、この系列のお家芸とも言える「本陣房」に軍配が上がるが、こちらの「ゆず切り」もまずまずの出来栄えである。
たまにしか出さないことにも有難味があるが、なかなか乙な味であった。
≪2010年2月のレビュー≫
蕎麦のみならず、酒や肴の美味さを、いまさら事細かに述べる必要はない。
これだけの繁盛店でも、仕事に斑が無く、サービスにもほとんど狂いが無い。
それを支える確かな技術力と、行き届いた店員教育が垣間見える。
また実力を誇示するような、老舗に有りがちな気取りや高慢さもない。
そもそも東京の蕎麦は「趣味食」であり、‘蕎麦で腹一杯にすることなど無粋の極み’などということは百も承知。
しかしそんな理屈も、この店に対しては妙に空しい。
酒飲みに対する、簡潔でありながら細やかな配慮。うどんや丼飯といった、食事のみの客への対応も万全。
時分どきにのんびりと酒を嗜む客も、いやな顔を向けられることは無い。
味そのものについては、最近のいわゆる「こだわり蕎麦屋」の方が美味い処はいくらでもある。
しかしあらゆる来店客に対応できる店としては、最良の味と業態を維持していることは称賛に値する。
店の造りは、一昔前の「縄のれん」そのもの。
横長の台に背もたれのない腰掛け。
しかし変わらぬ風情がうれしい。
今や東京の名所の一つとなり、最近は何時でも混んでいる。
‘相席がいやだ’、‘雰囲気が落ち着かな’といった声も聞こえるが、これは店の責任ではない。
土曜日は避けるのが無難。
平日の3時過ぎが、最も寛げる時間帯。
私も多くの蕎麦屋を巡り歩いてきたが、ここはあらゆる意味で別格である。
他ではまず注文することのない「カレー南ばん」にも違和感はない。
昨今のストイックなまでの「こだわり」を見せる新進の蕎麦屋に、言いようのない息苦しさを覚える時、ふと足を向けたくなるのが、ここ「まつや」である。
2015/12/23 更新
都心に出掛けた帰りに立ち寄る。
実は最初は東京駅構内の蕎麦屋に寄るつもりだったが、前まで行くと14時近くでもかなり混んでおりゆっくり出来る雰囲気ではなかったので、急遽勝手知ったるこちらに向かった次第。
正面右側の入口前には3人の待ち客が居たが、客が退き始めた頃で5分と掛からず入店出来た。
右手中ほどの普段6人掛けのテーブルを、衝立で2つに仕切った一方に通された。
今回は「ぬる燗」で始める。
肴には温かいものが欲しかったので「天南ばんの抜き」を注文。
品書きには載っていないが、花番のお姐さんからは即座に'かしこまりました'の声。
硬めに練り上げた「蕎麦みそ」を箸先で舐りながら、こちらならでは白磁の猪口をチビチビ。
10分ほどでお待ちかねの丼が登場。
つゆには小海老を3連に筏揚げにした天ぷらと細切りの葱と三つ葉が浮かび、柚子皮が香りを添えている。
蕎麦が無い分、結び蒲鉾が一片入っているのが「抜き」のお約束。
まずは蓮華でつゆをひと掬いすると、元々コクのある味わいに天ぷらの旨味が加わり実に美味い。
海老は細身でも味はあるが、つゆを吸って潤びた衣がこちらの主役と言える。
葱はもう少し太目の存在感のあるものを期待したが、「抜き」ではこのスタイルのようだ。
2本目のお銚子は「ひや」で頼み、暫し寛いだ時間が流れる。
表に向いた席だったので客の出入りが観察できたが、平日のため観光客は少なくほとんどが常連の様子。
回転は良く、客席を減らしてはいるがこの時間帯でもほぼ満卓の状態をキープ。
蕎麦は基本の「もり」を1枚。
今回の蕎麦は多少の不揃いは有ったものの、不満は一切無い。
つゆは万人向けのスタンダードな味わいで、どっぷり浸す愚を犯さなければ濃く感じることは無い。
他の方のレビューには仕事の質が落ちたという記述が見られるが、長年通っていると偶に多少の斑を感じることは有るが、概ね高いレベルは維持されている。
蕎麦湯が外連味のない自然体なのも江戸前の伝統。
蕎麦湯はつゆを適度な濃さに延ばして美味しく飲むための手段であり、余分な手を加えたドロドロなどは無粋の極み。
今回も簡潔ながら、清々しい蕎麦屋酒を堪能。
帰り際に気になっていた'中野鍋屋横丁の分家の突如の閉店'について、ちょうど帳場に座っていたご主人に訊いてみた。
しかしご主人も'従兄弟がやっていたのですが、事前の相談も顛末の報告などは一切無く、私も人づてに耳にして初めて知りました'との言葉が返って来た。
あの店は規模は小さいがアットホームな雰囲気で、気軽に蕎麦屋酒が楽しめる地元民に愛される名店だった。
私も数回訪れたことがあるが、ご主人の卒のない仕事ぶりと大女将の温かみのある接客ぶりが強く印象に残っており、まことに残念でならない。