神田の老舗蕎麦屋で蕎麦前を

神田の老舗蕎麦屋で蕎麦前を

「砂場」「藪」「更科」、神田には「江戸三大蕎麦」の老舗が勢ぞろい! どのお店も、一生に一度は訪れたい!

記事作成日:2023/05/17

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このまとめ記事は食べログレビュアーによる6185の口コミを参考にまとめました。

「酒を飲まないくらいなら蕎麦屋へなんぞ入るな」

食通で知られる文豪、池波正太郎さんの口ぐせだったそうです。
池波正太郎氏が晩年ひいきにしていたという 神田まつやをはじめ、「銅子会」および「木鉢会」の会員店になっている老舗のお蕎麦屋さんです。
ちなみに、銅子会というのは、親が蕎麦屋を営む二代目以降の老舗の旦那衆の集まりで、昭和26年設立。
木鉢会というのは、銅子会の子弟である3代目以降の若旦那衆の集まりで、昭和33年設立です。

室町砂場 日本橋本店

室町砂場 日本橋本店 - ざる:650円税別

江戸蕎麦御三家のなかでも最も古い歴史を持つ「砂場」。
元々は、大阪城築城の資材置き場「砂場」の近くで繁盛していた麺屋が
のれん分けなどで江戸に伝わり、江戸の地で広がったのだとか。

室町砂場は、幕末に糀町七丁目砂場藤吉(今の砂場総本家)から分岐したようですが、
日本橋で営業を始めた明治二年を創業の年としているそうです。

かんだやぶそば

かんだやぶそば - せいろうそば:750円+税

「砂場」「更科」と並んで、江戸そばの三大系譜といわれる「藪」。

明治13年(1880年)創業で、現存する藪のなかで最も古いのが、ここ「かんだやぶそば」。

低い石垣と植栽で囲まれたお屋敷は、2013年の火事を機に新しく建て直された建物だそうですが、以前にも増して老舗の風格が漂っておりやす。

そば粉10:小麦粉1の割合で粉を配合、風味の良さが特徴です。

神田まつや 本店

神田まつや 本店 - もりそば:700円

池波正太郎氏が晩年ひいきにしていた 神田まつや。
明治17年、福島家が創業し、関東大震災後に小高家に受継がれ現在に至ってます。

築90年以上を数える木造2階建ての建物は、
東京都の歴史的建造物、千代田区の景観まちづくり重要物件などに指定されています。

神田錦町 更科

神田錦町 更科 - せいろ

「砂場」「藪」と並んで、江戸そばの三大系譜といわれる「更科」。
「麻布永坂総本家更科 堀井」の唯一の分店「神田錦町 更科」です。
1869年(明治2年)創業、現在4代目と5代目が蕎麦一筋で受け継いでいます。

古くて新しい蕎麦屋として、
更科粉を使った変り蕎麦を週変りで出していたりします。

かつて、毎月5と10の付く日は縁日が出て賑わっていたという五十通り沿いに
なにやらごちゃごちゃとしつつも、雰囲気のある佇まいのお蕎麦屋さんです。

神田 尾張屋本店

神田 尾張屋本店 - 天ざる:1,450円+税

一八通り沿い、神田きくかわの隣の5階建てのビルに
縦に大きな字で「そば処 尾張屋本店」と書いてあります。
通りには「粋を楽しむ、技を味わう 東京二八蕎麦」の赤い幟が立ってます。

創業は、木鉢会のHPなどでは大正9年、
食べログやぐるなびなどでは大正12年となっております。
蕎麦屋の前は、銀座5丁目で三味線屋だったそうで、
当時の町名「尾張町」(現在の銀座5丁目あたり)が屋号の由来なんだとか。

浅野屋 本店

浅野屋 本店 - もりそば

明治5年に神田猿楽町にて創業し、明治25年に現在の場所に移転。
猿楽町開店当時の大家さんが、赤穂浪士で有名な浅野家出入りの大工さんだったので
浅野の名前をお借りし、浅野屋の屋号になったとのこと。

明治32年に、浅和会という浅野屋 暖簾会を設立してます。
浅和会は、浅野屋から独立した方など62店で構成されてます。
創業の地にある今の猿楽町浅野屋は、暖簾分けを受けた浅和会メンバーとのこと。

※本記事は、2023/05/17に作成されています。内容、金額、メニュー等が現在と異なる場合がありますので、訪問の際は必ず事前に電話等でご確認ください。

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